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被災地・大槌町を訪ねて
六月一日に私を含む公明党県議団四人は、東日本大震災で壊滅的被害を受けた岩手県大槌町を視察、避難所も訪問し、支援物資を届けてきた。私にとっては、初めての被災地入りであり、まさに百聞は一見に如かずの体験であった。その模様を報告したい。
◇ ◇
支援物資を積んだ車二台で盛岡を朝八時に出発。早池峰山を回り込むように三時間弱。のどかな山村風景が続き、「あまり地震のつめ跡がないね」などと話していた時、目的地の大槌町の海岸線が近づいてきた。
その風景は突然現れた。津波に襲われ残骸となった家とガレキの山。その中で重機が解体を続けている。外見はしっかりしていそうな家も中は空洞だったり、メチャメチャのものが多い。映像で見慣れたはずだが、実際に見ると驚きとしか言いようがない。
さらに、三陸海岸を南北に走る国道四五号線を越え、海岸沿いに開けた市街地に入れば、そこはまさに想像を絶する光景であった。
何もないのである。津波でみんな持って行かれてしまったのだろうか。コンクリートづくりのビルがかろうじて廃墟のような外観をとどめているだけで、あとは何もない。土台が残っているだけだ。映像で見た空襲跡の焼け野原のようだ。衝撃を受けつつ、廃墟の街を抜け、臨時町役場が設けられている高台の小学校に向かった。
◇ ◇
町役場は津波で町長はじめ数十人の職員を失うが、現在は東梅副町長中心にプレハブづくりの仮庁舎で懸命の活動を続けている。お話を伺うと、職員自身も被災者が多く、避難所から仮庁舎へ出勤する者も多いという。また、業務に追われ、五月までは休みを取れない状況が続いているという。あらためて町長選挙をしないといけないので、選挙事務の経験がある行政職員の応援がほしいことや、町に住み続けるためには雇用の場の確保が必要など、切実なご意見を伺った。
仮庁舎の裏山には高台があり、そこに上がると大槌町全体が見渡せる。大槌湾沿いの市街地は九五%が津波の被害を受けた。本来は住宅や工場やスーパーがあったはずの市街地は、見渡す限りの更地が続いており、言葉が出ない。
◇ ◇
今回、私たちには大槌町出身のYさんという案内役がいたため、埼玉から運んだスイカや女性用の下着といった支援物資を避難所に直接届けることができた。
ある避難所でのことだが、中心者の方がマイクで「女性用の下着が届きました」とひと声をかけると、続々と避難者の方々が取りに来られた。明らかにモノがないのである。しかし、町の中心部から少し離れたところにある物資集積所の大テントには、おそらく全国から送られたであろう山のような物資があった。利用価値が高いと思われる自転車も百台以上は並んでいた。せっかく物資はあっても、避難所まで届いていないのではないか。副町長さんは、震災後、町職員は休みも取らずに働いてきたと言っていた。人出不足のために、点在する避難所へ必要なモノが届いていないのではと思われた。
◇ ◇
一階部分が水につかったものの既に再開した幼稚園。道路だけは通れるものの、ガレキの山が手つかず状態の集落。津波の恐るべき力で破壊されてしまった堤防。小学校の校庭に急ピッチで建設される仮設住宅。被災現地を回ったのは正味一日だが、忘れることのできない光景と、復興に向けて立ち上がろうとする人々に出会うことができた。現地に赴き、その空気に触れられたことは、私にとって大きな経験だった。復興支援と埼玉の今後にぜひとも活かしていきたい。
【写真】
(1)町のメインストリート前にて(右から2人目が筆者)
(2)役場裏の高台から街を望む
(3)支援物資に多くの人々が集まってきた
(4)仮庁舎にて副町長から話を伺う
政権交代で思うこと
日刊新民報2010年新年号に寄稿
◇順番に明確な変化が◇
昨年十一月の県戦没者追悼式で、政権交代を改めて実感する場面があった。この追悼式には代理も含めて多くの国会議員や我々県議会議員も出席し、名前を呼ばれた上で順次、献花を行う。従来は自民党国会議員が一番に呼ばれていたが、今回はきっちりと民主党国会議員が一番になっていたのだった。国会議員の次は県議会議員だが、こちらは従来通り。県議会で過半数を占める自民党が先で民主党が二番目であった。
思わぬところに政権交代の影響が出るのだなと、式典を運営する県当局の苦労に改めて同情するとともに感心してしまった。また、英霊の皆様も「ほーう」というような思いで見つめておられたのではないだろうか。
◇八ッ場ダムは納得できない◇
政権が交代したのは国政であるが、その影響は当然地方にも及ぶ。埼玉県にとってまず降りかかってきたのが「八ッ場ダム」の建設中止問題である。事業予算規模で既に三分の二を支出し、工事としてはダム本体工事のみを残す八ッ場ダムが、突然ストップしてしまった。民主党出身の上田知事ですら、「現場の声も聞かないで無責任」「中止すれば逆に支出が増える」と猛反発。埼玉県議会でも、九月定例県議会では一般質問者十五人のうち十二人が八ッ場ダムについて質問、さまざまな角度からその必要性が議論された結果、「八ッ場ダムの建設推進を求める意見書」を可決し、国に建設推進を強く要望した。国は一方的にやめますよと言ってきたが、埼玉県は知事も議会も、そんな身勝手は許しませんよということである。
そもそも民主党がマニフェストに八ッ場ダム中止を掲げた目的は新しい財源の確保である。ところがどっこい、中止した場合、地方の負担金返却などで、かえって支出が増えてしまう。この初歩的な問題に気づいていなかったのではないか。ダム建設中止は何となく環境に優しい感じで、耳障りが良い。しかし、こと八ッ場ダムに関しては、見当違いではありませんかと強く申し上げたい。
◇それでも交代を望んだ民意◇
ほかにもいろんなことが心配される。前政権が補正予算を組んでまで実施した各種基金事業はきちんと継続されるのか。特に、介護職員の待遇改善など、一度実施したものを途中で止めるのは甚大な影響を及ぼす。これと逆の意味で心配なのが、新政権が打ち出した「子ども手当て」である。一人月額二万六千円の給付額は大きすぎる。いったん始めてしまったら、ストップするのは大変だ。
「事業仕分け」も話題を呼んだ。国の事業の在り方を公開の場で議論するという斬新な絵柄はマスコミの関心を大いに集め、大方の国民からは好意的に受け止められているようである。一方、「公開処刑だ」「どういう資格で民間人が入っているのか」等々の批判も一理ある。今回のやり方をパフォーマンス重視と受け止めるか、画期的と受け止めるか、難しいところだが、両面あるのだろう。
さらに、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで新政権は、公共事業費の削減に熱心だが、建設業界はすそ野が広いだけに事業費削減は間違いなく景気に悪影響を与える。深刻な問題である。また、ガソリンなどの暫定税率を廃止すれば、道路関係予算が減るので、私たちの生活に身近な圏央道や東京狭山線の工事に影響が出るかもしれない。
しかし、政権交代というのは、まさにこういうことなのだろう。こういうリスクも含めて、国民は「交代」を選んだと受け止めよう。
◇謙虚に受け止め再出発◇
私ども、公明党も自民党とともに敗北し、野に下った。自民党との連立政権に参画してほぼ十年、歴史に大きな句読点が打たれたように思う。政権の一翼を担うことで数々の政策を実現できた反面、「与党ボケ」して公明党の良さが失われたのでは、などの厳しい批判をいただいている。率直に受け止めたい。もう一度原点に帰って、より多くの国民の皆様から期待され、必要とされる政党へ生まれ変わるチャンスでもある。謙虚に民意と事実を受け止め、再出発していく決意である。
「さすが中国…」―埼玉県議会山西省視察訪問団に参加して
家庭新聞2010年新年号に寄稿
昨年秋、埼玉県と姉妹関係を結ぶ中国・山西省を、県議会の友好議員連盟による視察訪問団の一員として訪れることができた。私自身には初めての中国訪問であり、四泊五日という短期間ではあったが、とても刺激的で勉強になった旅であった。思いつくままに、いくつかの印象を記してみたい。
◇スリリングなドライブ◇
秋天の北京空港から初日の目的地・五台山へと専用バスで向かう。窓外に広がる北京市内は高層ビルの建設ラッシュ。高速道路も市内は渋滞気味で、高い経済成長を続ける現代中国の象徴的な姿である。
ところが北京郊外を出て河北省に入ると風景は一変。道路の両側には収穫を終えたトウモロコシ畑が一面に広がる。畑にはかなり年季の入ったレンガ造りの集落(一軒家はない)がセットとなっている。この風景がなかなか変わらない。確か、一時間以上はこの風景が続いたと思う。時々、羊を追ったり、これから後、しばしば目にすることになるオート三輪で作業をする農村風景が目に入り、これまた典型的な中国を感じる。北京空港から約四時間、夕闇迫るころ、ようやく高速を降り、一般道に入るが、ここからがまた長かった。
日本と違い、道路には全くと言っていいほど街灯がない。夜道をヘッドライトだけを頼りに車は進む。それなのに、運転手は頻繁に追い抜きをかけるのだ。前方に遅い車があると「パパパーッ」とクラクションを鳴らして、追い抜く。しかし、こちらだけでなく対向車も同じく追い抜きをかけてくるので、おっかないたらありゃしない。加えて、道には歩行者をはじめ、小さなバイクや自転車、懐かしいオート三輪などが入り乱れている。「あー、危ない」と何度も声を挙げそうになるスリリングなドライブが三時間以上続いた夜九時半。疲れ果て、おなかもへって、初日の宿・五台山に到着した。
しかし、一般道を通ったことで、庶民の生活が垣間見ることができた。道路両側に続くレンガ造りの民家は、日本なら廃墟と見まがうような家々も多かった。思わず、「あー、こんな所に住んでるんだ」とつぶやく。北京の高層マンション、延々と続く広大な農村、街道沿いの質素な家々……。初日にして中国の圧倒的な何かにやられてしまった。
◇全然違う本場の中華料理◇
今回の旅でひそかに期待していたのが、本場の中華料理。しかし、山西省で食べた中華料理に日本でおなじみのものはほとんどなかった。味付けも全然違う。酢豚もない。エビチリもない。牛肉のオイスターソース炒めもない。焼きギョーザももちろんないのだ! 日本人好みの甘辛い味付けをしないし、どうやら醤油をあまり使わないようだ。薄味のものが多く、何にでも独特の香り付け(たぶん八角と思われる)がされていて、これが慣れるまで苦しい! 最初の晩などは、私も含めて、皆さん、食べられるものが少なかったようだ。
結局、ホテルの朝食ビュッフェ以外は昼夜すべて中華料理で最後まで押し切られた。現地の人々からすればおそらく豪勢な料理なんだろうけど、口に合わないと苦しいし、もったいない。
◇四半世紀に及ぶ友好関係◇
ところで、山西省は面積が埼玉県の四十一倍、人口も三千四百万人と約五倍。省都の太原市(たいげん)だけでも人口三百五十万人の巨大都市である。埼玉県のお相手としては大き過ぎるくらいである。
埼玉県と山西省との友好関係は正式な協定書を締結したのが、一九八二年。既に四半世紀を超える関係である。県立がんセンターや県小児医療センター、県農業大学校などに中国研修生を受け入れたり、双方の交流が進められてきた。
今回は、上田知事と山西省長との間で、経済面や環境面で、より実質的な協力を行っていいこうという協定が結ばれた。日本側は二十人を超える県内の企業経営者も参加したので、今後はビジネス面での交流も期待される。山西大学や山西医科大学、中国の議会に相当する人民代表大会なども訪問することができた。
特に印象深かったのは、人民代表大会の視察。中国の県議会のような存在だが、委員数は約五百二十名。その中から専従の常任委員六十人余りが選ばれている。この常任委員は明らかに政治的エリート集団で大きな力を持つようだ。県議会とは比べ物にならない立派なビルに人民代表大会はある。いろいろと話を伺ったが、記憶に残っているのが経済状況の数字。山西省人民の年間可処分所得は農民で約四千元(約六万円)、都市部住民で約一万三千元(約二十万円)という。所得水準は日本の一九六〇年代といったところだろうか。一方で、このビルの玄関には、高級車(黒塗りのアウディ)が何台も停められていた。
ところで、中国の政治的指導層は共産党員で占められている。経済は開放され、市場経済が進み、不動産バブルが起きても、結局は中国共産党の政治的指導権は揺らいでいない。議会も行政機構も、そして軍隊さえも最終的には共産党の指導下にあるのだ。
私には、この中国共産党という存在は、現代の「王様」のように思えた。余りにも広大な国土と膨大な民。これを統治するには、下からの民主主義では不可能に思える。むしろ、王朝政治のような中央集権的な統治の方が向いているのではと思える。四千年の歴史を持つ中国人民はそのことを肌で理解し、内心は「うまく統治されたい」と思っているのでは、とすら感じた。いにしえの王様の代わりに現在は「中国共産党」がいる。私が勝手に抱いた中国の一イメージである。
◇大きな力はゆっくり動く?◇
我々の主な滞在先となった省都・太原市は既に述べたように人口三百五十万人の大都会。もともとは「中原(ちゅうげん)」と呼ばれる地域の一つであり、明の時代には中国一の商都として繁栄した由緒ある都市。碁盤の目状に道路が開かれ、太い道路は何と片側6車線もある。ちなみに、歩行者用信号機はほとんどない。道路の横断は車を上手にやりすごしたり、除けながら渡らなければならない。我々日本人には至難のワザで、まさに命がけの横断となる。
市の中心部や新たな開発が進む地域では、高層マンションの建設ラッシュ。さいたま新都心を数十個合わせたようなイメージだろうか。こんなに作って一体誰が住むんだろうと余計な心配をしたくなるくらいだ。しかし、街にはとにかく人が多い。銀座や新宿など、日本の大都会は住んでいる人々はわずかだが、中国では、高層ビルから一本路地裏に入れば、昔ながらの古いアパートがたくさんあり、露店の食堂で朝がゆをすする人々や、早朝の公園で太極拳を舞う人々の姿が気軽に見ることができる。近代的な高層ビルとその裏で営まれている人々の変わらない生活。このギャップがなんとも言えない中国の魅力だろう。
昔、中国を舞台にしてとても印象に残ったサントリーオールドのCMがあった。優雅な太極拳の舞いと朝もやの街を行き交う自転車の群れという絵柄に、「大きな力はゆっくり動く」というナレーションが入るやつである。実際に訪れてみて、既にテイクオフした中国はいっそう「大きな力」となり、「ゆっくりと、かつエネルギッシュに」動いているように思えた。旅の途中、「さすが中国…」と何度もつぶやいてしまった私であった。
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