エッセイ
平成17年1月初旬記

「教科書論争」を越えて~高橋史朗氏の県教育委員人事に思う

対立の“火種”持ち込む

昨年の一二月定例県議会の最終日、本会議場は異様な雰囲気だった。「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長であった高橋史朗・明星大学教授を教育委員に起用する上田知事の人事案は、議会内を越えて大きな波紋を呼び起こし、反対派と思われる傍聴者が多数詰めかけ、怒声がとびかう中での採決となった。公明党はこの人事案に反対したが(民主党、共産党も反対)、県議会で単独過半数を占める自民党と地方主権の会(一人が退席)などの賛成により、高橋氏の人事は同意された。

まず、率直に言って、上田知事はなぜこのような人事を行ったのか疑問に思う。形骸化を指摘される教育委員会の活性化を図るためと知事は説明していたが、高橋氏のこれまでの経歴や発言をよく見れば、議会での賛否が割れるだけでなく、政治的シンボルとして左右両陣営にとって後に退けない問題となり、政争の具となる危険性が高い。教育委員会活性化という目的であるなら、他にも人材を探すことができたのではないか。政治的対立の新たな火種をあえて持ち込む必要性が本当にあったのだろうか。

二つの教科書を比べると

ところで、高橋氏が副会長を勤めていた「新しい歴史教科書をつくる会」は、既存の歴史教科書が「自虐史観」で書かれていると批判し、会のメンバー自らが執筆者となって扶桑社から「新しい歴史教科書」を出版、二〇〇一年の教科書検定に合格した(高橋氏も監修者として名を連ねている)。この扶桑社版は他社の歴史教科書とどれほど違うのか。現在、県内の全公立中学校で使われている東京書籍の「新しい社会 歴史」(二〇〇一年版=以下、東京書籍版と呼ぶ)と比較してみよう

まず、扶桑社版はA5サイズで三三六ページに対し、東京書籍版は一回り大きいB5サイズで二〇七ページ。一見して、扶桑社版は記述中心に読ませる教科書、東京書籍版は写真やイラストが多く、見せる教科書という印象を受けた。
問題の内容だが、近現代史に限って比較しても、一読して受ける印象はかなり異なる。例えば、太平洋戦争の記述について、扶桑社版は項目からして「大東亜戦争(太平洋戦争)」と独自の視点を掲げている。日本軍の東南アジア諸国での緒戦の快進撃を詳しく延べ、「東南アジアやインドの多くの人々に独立への夢と勇気を育んだ」と肯定的な評価を盛り込んだ後、戦局の暗転により、日本軍が壊滅していく様子を物語風に読ませる記述だ
また、アジア諸国と日本の関係では、「中国の兵士や民衆には、日本軍の侵攻により、おびただしい犠牲が出た。また、フィリピンやシンガポールなどでも、日本軍によって抗日ゲリラや一般市民に多数の死者が出た」と、日本軍の負の側面も紹介されているが、「日本軍の南方進出は、アジア諸国が独立を早める一つのきっかけとなった」との評価は一貫している。「侵略戦争」という言葉も出てこない。
一方、東京書籍版では、「日本の中国侵略」と項目を立て、侵略戦争との位置づけを明確にし、外国人の強制連行や東南アジアでの蛮行についても写真付きで紹介している。日本軍の南方進出がアジア諸国の独立を助けたという趣旨の記述は見られない。
また、扶桑社版では「ロシア革命」について、「事実上はレーニンの独裁体制」と斬り捨て、「そしてその後の歴史でも、個人の自由が保障された市民社会、資本主義の成功した国には革命は起こらなかった」として、マルクス主義の破綻を明記。その後のソ連についても、「ソ連は無階級社会をつくるという理想から出発したはずだが、現実には過酷な強制労働と膨大な数の犠牲者をともなっていた」と総括している。
これに対し、東京書籍版ではロシア革命について、「一九一七年に『パン、自由、平和』を求めて労働者のストライキや兵士の反乱が続き、かれらの代表会議(ソビエト)が各地域に広がったのです。皇帝が退位しましたが、状況は安定せず、社会主義を唱える世界最初の政府ができました。これをロシア革命といいます」と書かれ、特に価値判断的な記述はない。また、共産主義についてもあらためては取り上げてはいない。

「静か」ではない会の運動

率直に言って、扶桑社版には歴史観において違和感を感じる部分もあったが、肝心の歴史叙述も分量が多く、読み物としてはこちらの方が面白かった。東京書籍版をはじめ、他社の教科書はカラフルで写真も多いが、文章よりは写真やイラストに頼っているようで、編集スタイルを一考すべきではと感じた。
ただ、ここが問題なのだが、扶桑社版をつくり採択を推進する「新しい歴史教科書をつくる会」の運動に私は賛成することができない。市販本の前書きに「われわれは日本の市民社会に本書を静かに提供する」とあるが、およそこの会の運動は静かではない。この教科書を推奨する政治家、政党と連携しての活発な運動は、自らの史観を強引に押し広げようとする危惧を抱かせるもので、それを教育に持ち込むことはやめてもらいたい。私たちが高橋氏の教育委員就任に反対した最大の理由もこの点に対しての不安がぬぐえないからである。
もちろん教科書が間違いだらけのいい加減なものでは困る。だが、「教科書を教える」のではなく、「教科書で教える」のが教員の腕の見せ所である。もし、未成熟な中学生に特定の歴史教科書の史観を絶対的なものとして教え込むとしたら、それこそ重大な問題であり、あってはならないことだ。歴史観は教科書だけでなく、さまざまな学習や経験を経て自らが形づくるものである。
しかしながら現状は、どの教科書を選ぶかが、異なる史観を持つ大人たちによる「代理戦争化」しているように思えてならない。この点については「左右」両陣営に強く自制を求めたい。埼玉県議会にも保守系の有志議員を中心にして、「教科書を考える議員連盟」なるものが結成されたが、一体どうしようというのか。

教育再生へのカギは

今、確かに教育への危機感は深い。いじめ、不登校、学力低下、教員の資質等々、県議会の一般質問においても教育問題に触れない議員は少なく、教育長は答弁に大忙しである。問題を指摘し、対応を迫る。時にはそれも必要であろう。しかし、それだけで現在の危機的状況は改善されるのか。答えは否であると私は思う。ましてや教科書を変えることで子供の公共心や国を愛する心が本当に育つのか。それも否だ
昨年十二月県議会でも三井物産の排ガス除去装置のデータ捏造が問題にされた。またしても日本を代表する一流企業が競争相手に勝つためには、儲けるためには、手段を選ばなかったという事実は象徴的だ。大人社会がモラルを失ったままで、子供の公共心を育てることが本当にできるのか、もう一度自らに問うべきではないか。この原点を忘れて教育の再生は決してありえないと思う
先般、ある教員グループの教育実践報告を聞く機会を得た。そこでは三人の現職教員が自らの体験を報告されていた。小学校一年生の担任で学級崩壊の危機に直面した教員、中退しそうな生徒と懸命に係わりあおうとする高校教員、「荒れた中学校」に赴任した教頭、それぞれの奮闘が静かに熱く語られ、その真摯な取り組みに、私も含めて聴衆の目頭が熱くなった。悩み苦しみながらも、子供とかかわり、日々格闘している教師たちの存在。今、教育再生のために真っ先にするべきは不毛な教科書論争ではないと思う。心ある教員を信じ、教育現場の自主性や創意工夫を生かしていく方向にこそ、遠回りのようでも教育再生のカギがあると信じる。

日刊新民報2004年新年号に掲載

今年、埼玉県は障害児教育について新たな一歩を踏み出す。
障害のある子もない子も分け隔てなく、ともに学び、育くんでいこうという「ノーマライゼーションの理念に基づく教育」を平成十六年度からスタートさせることになったのだ。

若干、経緯を説明させていただく。従来、盲・ろう・養護学校に通う生徒は、自分の住む地域の学校とほとんど交流がないのが実情であった。保護者からも、 子どもが遠く離れた養護学校に通うため、地域でほとんどその子のことが知られず、「子供会の名簿にも載らずショックだった」とか、「近所で遊ばせたくても 友達ができない」といったご意見が寄せられていた。私も一般質問で、養護学校生徒の居住地交流や、将来の自立を視野に入れた障害児教育の在り方などを提言 し、私の政治活動の重要テーマの一つとして取り組んできたつもりであった。

そうしたところ、昨年の年頭に土屋前知事が、「全障害児に普通学級籍を」というまさに画期的な政策を打ち出した。居住地交流の発想を超える大英断であ る。前知事の強い決意を受け、県教育局も外部有識者や関係者による検討委員会を立ち上げ、一年間の議論の後、報告書がまとめられた。上田新知事も前知事の 打ち出した方針に異存はないようだ。いよいよ本年から実施という段階までこぎつけたのである。
報告書で想定されている主なケースとしては、?盲・ろう・養護学校に在籍する生徒が、地域の小中学校の通常学級で学校行事への参加や教科学習を行う?特 殊学級に在籍する生徒が可能な限り通常学級で教科学習を行う?通常学級に在籍するLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症などの 生徒が特殊学級で自立のための学習を行う??の三つである。

盲・ろう・養護学校と通常学級、特殊学級と通常学級の間にある垣根を越えるために「支援籍」という考えも編み出された。当初、「二重学籍」と報道され、 話題になったものである。学籍問題をクリアしないと、現行の国の制度では、教職員の配置や教科書の給与ができないのである。

このノーマライゼーション教育の在り方を昨年一年間かけて検討した「特別支援教育振興協議会」での議論は大変白熱したものとなった。実は私も県議会文教 委員会副委員長という立場にあったので、この協議会に副委員長として参加させていただいたが、毎回の会議には傍聴者が詰めかけ、定刻には会議が終わらない ほど意見も続出。

俗に言われる「形だけの審議会」とは大いに異なるものだった。また、多くの関係者から生の声を聞くことができ、大変に勉強になった。
ノーマライゼーションという方向性そのものに異を唱える意見はなかったが、いざ実施ということになると、さまざまな不安や疑問、課題の多さが指摘され た。「もっと時間をかけて議論すべき」との意見も出されたが、とりあえず報告がまとめられ、第一歩を踏み出すこととなった。

おそらく、十六年度にできることはモデル市によって試験的に、障害のある児童生徒の学校行事などへの参加と交流が始まっていく程度であろう。いきなりす べての障害のある子が普通学級に通うわけでもないし、もちろん、盲・ろう・養護学校がなくなるわけでもない。むしろ、盲・ろう・養護学校での専門的な教育 を充実させていくことは今後も引き続き重要な課題である。
それでも、私はこの一歩の意味はとても重要だと思う。障害のある子どもにとっても、ない子どもにとっても学ぶことは多いはずだ。

また、保護者や教職員、私たち地域の大人にとっても同様である。学校施設のバリアフリー化をはじめ、教職員の配置やサポート体制の確保など、多くの課題があることも明らかだが、どこまでやれるか。
全国でも初の試みとなる埼玉県の挑戦である。引き続いて、見守り、応援していきたい。

日刊新民報・2003年新年号に掲載

どこで読んだか忘れ てしまったのだが、大手広告代理店が日・米の意識調査をした結果が両国の国家観の違いを際立たせて大変興味深かった。数字だけを手帳にメモしておいたのだ が、「進んで国のために戦うか」との問いにイエスと答えたのが、日本は一七%であるのに対し、アメリカは七〇%。一方、「国民の暮らしに国が責任を負うべ きか」との問いには日本が七〇%、アメリカは二七%の人がイエスと答えたそうだ。

「国は国民の生活に責任をもつべきだが、国のために進んで戦うことは勘弁してもらいたい」というような一種「わがまま」な日本人の国家観が浮き彫りにされている。
一方では、国家主義の復権というか、いわゆる右方向からの攻勢もひたひたと強くなっている。
「新しい歴史教科書をつくる会」の運動をはじめ、教育基本法改正の動きも急になってきた。国家に対するわがまま、言い変えれば無関心さと危険な国家主義が 同居しているのが現在の日本の状況とでも言えようか。もう一度、国家とは何かを問い直す必要がある。そうでなければ、国民の多くが抱く国家に対する無関心 (それは政治に対する幻滅も大きな要因だろうが)は、極端な国家主義に容易に転じる危険性をはらんでいるように思うからだ。

国家を考える際のキーワードとして、まず「個」と「私」の問題があると思う。戦後民主教育は戦前の反省から、「個性や自由をいうあまり、“個”を“私” へと矮小化させてしまう、人間のエゴイズムというものに対して、あまりにも無防備、無警戒でありすぎた」との識者の指摘はまことに鋭い。単なる「私(エゴ イズム)」の集まりは地域社会も、ましてや願うべき国家もつくることはできない。ヨーロッパ諸国のように都市国家の歴史を持たない日本において「個」を確 立することの困難さを直視したい。
逆に言えば、国家を意識することは「個」を意識することにも通ずる。いかなる国家を目指すのかは「個」の在りように大きな影響を与えざるを得ないからだ。
この点で、現在の日本が経済面で依存する存在としてしか「個」に意識されていないことは、前に挙げた意識調査にも如実に表れている。

そこで、もう一つのキーワードとして重要だと思うのは、国家における「価値」の問題である。国際政治学者の高坂正尭氏は、「国家とは『力の体系』であ り、『利益』の体系であり、そして『価値』の体系である」との有名な言葉を残したが、迷走する日本の根底には、「価値の体系」の不在が見て取れる。国家が 安易に「価値」の問題に踏み込むことは危険である。しかし、「価値」の体系を持たない国家は国際社会の中では得体の知れない存在としてしか評価されない し、何よりもその国民が幸せを感じるだろうか。

国家の価値体系は、時々の為政者が勝手に決めるものではもちろんない。それぞれの「個」が「価値」の問題に真摯に取り組み、その集大成として国家の価値がおのずと定まっていくべきである。言わば、個の「生きざま」の問題でもある。
一地方議員である私だが、政治家の一人として今後もこの問題に真面目に取り組んでいこうと思う。身に余るテーマを掲げて、舌足らずな論考になってしまったが、二〇〇三年初頭の、私自身の覚え書きのつもりでもある。新年に免じてお許しを願いたい。

平成14年7月10日記 日刊新民報暑中見舞い号掲載

昨年の夏ごろだっただろうか。障害者施設の事務長をしている市議会議員の友人から相談を受けた。
「西山さん。国がやっている障害者の日常生活用具給付制度では、ワープロはいいけどパソコンはダメなんです。県の判断で何とかなりませんか」とのこと。こ れだけパソコンが普及している時代に、ワープロ専用機でなければダメだなんてことがあるのか? ましてや、ワープロ専用機なんて今どき売ってないじゃない か!

疑問に思いながらも、さっそく県の担当課に問い合わせてみると、制度は確かにそうなっていて、県としては何ともしようがない、国の制度を変えてもらうし かないという。それならばと、公明党のネットワークと政策秘書時代の人脈を活かして国に働きかけ、おかげさまで今年四月からパソコンも支給対象に加えられ た。

常識を疑ってかかる。これは福祉の世界でも必要なことではないか。
多くの障害者が作業所や施設で就労しているが、その賃金は多くの場合一万円程度で、それが当たり前と思われてきた。しかし、この常識を打ち破り、障害者 に月10万円の賃金を支払っているパン屋さんがある。宅急便で有名なヤマト運輸の元会長・小倉昌男氏が障害者雇用の場として始めた「スワンベーカリー」と いうパン屋さんのチェーン店である。

その秘訣を知りたくて東京・銀座店にお邪魔してきたが、答えは「コロンブスの卵」。売上げがなければ当然賃金は支払えない。だから福祉を看板には一切掲 げず、経営努力で勝負する。これが答えであった。「福祉の世界にも経営を」という小倉氏の挑戦に行政も学ぶべきではないか。

もう一つ、障害者政策の在り方について教えられたのが、出生時の脳性麻痺により身体障害2級と認定されている保守系の若手論客・櫻田淳氏の「福祉の呪 縛」をはじめとする一連の著作である。櫻田氏は自らの体験を踏まえて、従来の福祉政策が、「働けるかもしれない人々」を「働けない人々」として遇すること により、かえって「働けない人々の立場」に放置してきたのではないか、と強烈な疑問と批判を投げかけている。

障害者政策は、当事者以外はなかなか発言しづらい。私も政治家としてまだまだ勉強中であるが、いずれにしても「もう一歩深く、見て、考える」ことの重要 性を痛感する。多くの関係者の努力によって福祉の量は飛躍的に拡大し、福祉を語らない政治家はいない時代になった。だからこそ、福祉を「聖域」にしてはな らないとも思う。福祉には多くの税金が投入されている。現場の実情や政策の効果について多くの人が関心を持ち、活発な論議が起きることは福祉にとって決し てマイナスにはならないと思う。

平成14年3月17日記

目下最大の経済問題はデフレ対策と言われておりますが、ものの値段が安いということは一面的には消費者にとってうれしいこと。だからというわけではないが、県庁の近くにある感動のラーメン屋を紹介したい。

まさに「知る人ぞ知る」という感じの小さな店が、県庁から歩いて十分ほど、旧中山道沿いにある。店の名前は「華月」。間口は1間で、今時、こんな店が 残っているのかというような外観。初めて行ったのは、昨年の参議院選挙が終わってほどなくだったので、9月ごろだったろうか。浦和市議会の高橋議員より、 「おいしい。幻の店だ」と聞いていたものの、初めてのれんをくぐるのは、一人だったせいもあって少々勇気が要った。

店の中は、8畳くらいの狭い空間に、これまたあまりもクラシックな4人がけのテーブルが三つだけ。イスもレザー製のシンプルなもので、一昔前の駅前食堂 にあったやつを思い出してほしい。目一杯詰めて12人で満席だが、時には立って待つお客さんが出るほどの人気なのである!初老の夫婦とおぼしきおじさんと おばさんだけでやっている店で、奥の調理場には髪の毛を9:1にきっちりと分けたおじさん。このおじさん、一言も口をきかない。いかにも職人ふうにラーメ ンなどをひたすらつくり、「ありがとうございます」も言わない。注文取りと品物を出してくれるのがおばさんで、ややがらっぱちな声で「だんなさん、何にし ますか」と聞いてくる。男の人ならだれでも「だんなさん」、女の人ならだれでも「おくさん」なのである。

迷わずお奨めのタンメンを注文。昼時はいつも満席状態のため、4人がけのテーブルで身を小さくしながら待つことしばし、「タンメンいきます」とのおばさ んの声とともに、目の前に幻の「タンメン」がついに登場!  キャベツ、モヤシ、ピーマン、ニンジンなどのたっぷりの野菜に豚肉とキクラゲが少々、やまもり野菜から立ち上る湯気がうれしい。まずはスープを一口、 ちょうどいい塩加減で「うまし!」。続いて野菜をハフハフしながら口の中へ、シャキシャキ感の残った絶妙な炒め具合である。麺も硬すぎず、柔らか過ぎず ちょうどいい湯で加減。三拍子そろった絶品で、私はいつもスープも残さず飲んでしまいます。私が推測するところ、野菜類に油が結構かかっているため(でも しつこくありません)、最後までアツアツ状態が保たれ、食べ終わる頃には、やや体が汗ばみ、満腹感と満足感で一杯になる。

これで470円なのである! きょうび、これだけのタンメンを470円で出している店が残っているとは! まさに感動のタンメン470円なのでありま す。というわけで、たいていの人はお勘定を払う時に、おばちゃんに心から「ごっつぉさん」と感謝の気持ちを込めてお代を払い、ツマヨウジなどをくわえて出 て行くのでありました。  この店のメニューはいたってシンプル。全部で10種類くらいだろうか。ご飯ものは野菜炒めとチャーハンくらいしかない。お店がやっているのはお昼だけ。 しかも、その日の材料がなくなればおしまいというわけで、たいてい一時半にはしまってしまいます。タンメン以外には、ラーメンも人気があります。420円 だったと思いますが、なんとチャーシュー三枚入り! チャーシューメンなら一体どうなってしまうのだろう。ギョーザもなかなかのものです。
要するに、ゼーンブ、リーズナブルなのであります。おいしいのであります。だから、多少店が狭くて、相席で目の前や横に知らない人が坐っていようと、タバコが吸えなかろうと(灰皿もありません)、おじさんが愛想がなかろうと、来る人は来るのであります。

私は結構メン類が好きで、いろんなラーメンを食べた方と思いますが、味と値段のベストマッチという観点から言えば、この華月のタンメン470円が栄光の 第一位、グランプリであります。無口で黙々とラーメンを作り続けるおじさん、プロフェッショナルな仕事をありがとう。ラーメン屋はおいしいラーメンを、大 工はいい家を、政治家はいい政策を。あなたのようなプロ魂は今日とても貴重です。これからもいい仕事を!

日刊「新民報」2002年新年号に掲載

昨 年十一月、幕張メッセで開催されている「ウェステック2001」(廃棄物処理・再資源化展)を見に行った。広い会場内に数百社が工夫を凝らした展示を繰り 広げ、廃棄物処理の新製品や新技術の紹介を競い合い、圧巻であった。全部を見たわけではないが、最新の技術を駆使すればかなりの廃棄物は再資源化が可能と 確信した。余談になるが、大手メーカーのブースにはきれいなコンパニオンのおねえさんがいて、さすがお金をかけているなと妙に感心。異色だったのはSK社 で、若手劇団による喜劇仕立てで、自社の溶融プラントの優位性を面白おかしく紹介し、観客を集めていた。

さて、「循環型社会形成推進基本法」が施行されてからそろそろ一年になる。あれだけ騒がれた所沢のダイオキシン汚染については、市内の焼却施設数は平成 九年時の十七から二へ、大気中のダイオキシン濃度については平均〇・八七ピコグラムから〇・二八(三富局の平均値)ピコグラムへと大きく改善された。所沢 市のダイオキシン汚染そのものはほぼ解決したと言っていいかと思うが、産業廃棄物処理の在り方についての課題はこれからだ。所沢市近隣の焼却施設は確かに 激減したが、そこに運び込まれていた産廃はどこへ行ったのか? 実は産廃そのものが激減したわけではなく、むしろ今後は一昔前の建設ブームの建て替えが見 込まれるため、増加すると言われているほどだ。

私は産業廃棄物処理については、「公共関与=行政の関与」が極めて重要と考えている。市場経済に任せていただけでは、「悪貨が良貨を駆逐する」事態に成 りかねないのである。悪質な業者には厳しく対処するとともに、優良な業者をいかに育てていくか。こうした政策誘導が不可欠だと県議会でも繰り返し主張して きた結果、県も民間任せから公共関与へと産廃政策のカジを切りつつある。成果の一つとして、寄居町に「資源循環工場」と銘打ち、所沢の米軍通信基地とほぼ 同じ広さの一大リサイクル団地が整備されることになった。次世代型の溶融施設や各種のリサイクル企業が集積する、全国でも注目のプロジェクトである。それ でも、まだまだ産廃施設は残っているし、今後も必要だ。どうするか。私は、「産廃施設を迷惑施設に終わらせてはならない」と思う。

一部の業者がいい加減なことをしたために焼き付いてしまった「産廃=悪者」というイメージをいかに転換していくのが次の課題だと思う。住民に安心し、信頼してもらうための情報公開や話し合いのルールづくり、あるいはムキ出しの焼却炉を建屋で覆うなども必要だろう。

冒頭述べたように、廃棄物処理技術の進歩は著しい。また、高失業率にあえぎ始めた日本にとって、環境分野は雇用創出のリーディング産業とも期待されてい る。ダイオキシン問題に揺れた所沢選出の議員として、この問題にさらなる答えを出していくことが、私の責務と決意している。

日刊「新民報」暑中見舞い号に掲載

県議会議員になっ て、何か不思議な言いまわしだなと感じていることがある。それは「県民」という言葉である。我々県会議員は、よく「県民本位」などと使うわけだが、「県 民」って、いったい誰のことだろう? 日常生活の中で、「あなたは県民です」なんて言われてしっくりくる人はまずいないだろう。

「市民」という言葉もある。「国民」という言葉も。もちろん同じ人のことを指しているわけで、勝手に、政治家とか行政の職員が我々のことをそれぞれの立 場からネーミングしているだけである。国の役人や国会議員が一般大衆を指して言う場合には「国民」、県職員や県会議員なら「県民」、市職員や市会議員なら 「市民」となる。まあ、特殊な行政用語とも言えるかもしれない。どうでもいいことのように思えるが、一人ひとりの主権者を表す適当な日本語がないのであ る。

いやいや、日本でも近頃は「市民」という言葉には特別の意味が与えられているという方がいるかもしれない。「市民」には、もっと主体的、自立的な意味合 いが込められていると。いわく「政治を市民の手に」だとか「市民が主役の社会」など。私も一時期はこの「市民」という言葉が、今後の政治のキーワードでは ないかと思っていたのだが、保守派の論客と言われる佐伯啓思氏の著作(「現代日本のイデオロギー」)を読んで、この「市民」という言葉にも疑問を感ぜざる を得ないようになった。

佐伯氏は、要約すると次のように論ずる。もともと、市民と言う言葉は都市国家という西欧の歴史的背景から生まれたものである。古代ギリシャにおけるアテ ネのように、市民意識というのは軍事および政治参加という最も公的な部分に深く根ざしており、現代日本のような私的な面を重視する市民意識とはおよそかけ 離れている。最近の日本の政治リーダーが提唱する市民の政治なんていうのは根無し草のようなものであり、まやかしだ、というのである。

まったく手厳しい批判だが、何となく「市民」という言葉に感じていたもやもやが晴れたような気がした。私の友人でいわゆる「市民運動」に携わっていた人 が、「自分は東京のマンション暮らしで、ご近所とはほとんど付き合いがないのに、市民運動とはこれいかに」と言っていたことも思い出した。

きちんと調べたわけではないが、英語ではこれに対応する言葉はcitizenであろうか。辞書を見ると、市民、公民、人民、国民などの意味が載ってい る。ケネディ大統領の有名な就任演説では、「my fellow citizens」が、「わが同胞のアメリカ人諸君」と訳されていたり、「市民諸君」と 訳されていた。恐らく官僚に対しての一般人といった使い方だと思うが、このcitizenにすっきり当てはまる日本語訳はないのかもしれない。だが、少な くとも、アメリカには行政の単位で人間の呼び方が変わることはなさそうで、citizenひとつで用が足りるようだ(間違っていたらゴメンナサイ)。

あらためて、言葉というのは難しいし、大事だなと思う。ひとつひとつの言葉に責任があり、魂なき言葉はやがて消え去るしかない。言葉を頼りとする職業の 私にとって、いかに自分の吐く言葉に責任を持ち、価値を与えていくか。主権者一人ひとりを適切に表現する言葉が生まれる環境をつくるのも私たちの仕事と思 う。

大 勝利を飾らせていただいた2001年参議院選挙において、私は公明党埼玉県本部の遊説隊長として戦わせていただきました。党においても歴史的な勝利となっ た今回の選挙戦ではたくさんのドラマが繰り広げられたことと思いますが、私も2001年の参院選における自分なりの歴史を、この機会に書き記しておきたい と思います。
もとより公式なものではありませんし、あくまで私的な感想をつづったのであることをご了解ください。また、今回の遊説では毎日ご苦労をかけた寺崎さん、 立石君、石川君、さらに風見さんをはじめとする女性アナ担当者の皆さん、まことにお世話になりました。さらに、先輩議員をはじめ、多くの関係者の皆様、党 員支持者の皆様にあらためて感謝を申し上げます。

7月12日(木)
いよいよ公示日。気温は37度くらいあるだろうか、ものすごく暑い。第一声はすったもんだの末、浦和ワシントンホテルの斜め前の駐車場。いい場所だが、柵 で囲まれている上に、1ヶ所しか入口がない。おまけに神崎代表が来るので、報道関係の車やカメラの放列で1000人近い聴衆整理が非常に難しい。  神崎代表は開始時刻の10時10分前には到着の予定だったが、首都高速の事故で遅れるとの連絡が入る。ヤバイ! 第一声は予定通り10時には開始する。 登壇予定時刻ギリギリの10時15分に何とか代表は間に合ったが、まさに冷や汗もの。おまけに、代表が間に合うかどうか気をもんでいる際にも、「比例区の 標記はどうなってるんだ!」などの電話が携帯に入る。「こっちだってそれどころじゃない」と言いたい気持ちだ。
何とか第一声を無事終えて、遊説隊は大宮駅西口へ飛ばす。そして、川越駅西口、川口駅、南越谷駅と大都市を回るが、後半に入る予定だった浜四津代表代行が急遽キャンセル。越谷では数千人の結集だったそうだ。何とも波瀾に飛んだ初日だった。

7月13日(金)
朝、携帯電話で目が覚める。今日の確認団体車のドライバーである杉戸の原田町議からだ。「あのー、車のカギが所定の場所にないんですけど」。しまった!  カギは私が持っている! 朝、原田さんに渡すつもりで寝坊してしまったのだ。現在、時刻は7時37分ごろ。遊説の出発は8時の予定だ。とりあえず、車の カギを引っつかんで、浦和のホテルから車で事務所に向かう。結局、8時5分頃に遊説隊は出発できたが、何とも情けないやら恥ずかしいやら。
確かにここのところ睡眠がろくに取れない状態が続いていたが、二日目にして遊説隊長が寝坊するとは。猛烈に反省。

7月14日(土)
今日は午後から、上尾、北本、熊谷の3ヶ所の街頭に坂口厚生労働大臣が応援に入る。坂口さんの話は実に分かりやすい。気張らないが、まさに人柄を感じさ せる演説だ。日本一暑いとも言われる熊谷はこの日、39度くらいあったのではないか。環境問題の専門家として地球温暖化に取り組む比例区の加藤候補を指し て、「この暑さを何とかするためにも加藤さんを当選させてください」との話しは、熊谷市民にとってもまさに分かりやすかったのではないか。

7月16日(日)
今日も午後から、冬柴幹事長が来県。春日部駅、せんげん台駅、吉川市と3ヶ所の街頭に入る。連日の猛暑で日中の街頭は、集まってくれた方にも気の毒だ。 日陰がない場所では30分が限界だろう。その点、本日の最終日となった吉川市の街頭は良かった。開始が19時過ぎのため陽が落ちて、街頭場所のコモディイ イダ前には涼しい風が吹き始めてきた。さらに県本部の宣伝カーにはスポットライトもあって、集まってくれた方が演説に集中しやすい雰囲気が自ずとかもしだ されていた。
当初、吉川市でのこの日の街頭は「なまず祭り」と重なったため中止という意見もあったが、やっぱりやって良かったですね。互さん(吉川市議)。

7月16日(月)
立ちあがりの四日間を終え、今日からいわば平日バージョン体制。高野遊説車は県南方面、そして確認団体車が県西部方面に向かい、今日はドッキングしない。
確認団体車は大きい車で運転が難しく、今までは職員の大塚さんしか運転できなかったが、今回の選挙では青年局議員5名が大塚さんの訓練を受けた上で、ドライバーとして活躍する。今日は鳩ヶ谷市の関議員が担当。
ほかにも、2日目に私の寝坊で心配をかけた杉戸の原田町議、車に詳しい朝霞の利根川市議、元レスキュー隊で大型免許も持つ入間の神谷市議、本人がちょっ とびびっている熊谷の吉田市議の青年局5人衆が大塚職員を支える体制。これも今までにはなかった体制として、誰も知らないだろうがちょっぴり自慢である。  このほかにも、比例区車として2台が県内を運行しており、高野車、確認団体車と合わせて4台の車が常時埼玉県内を走り回るという選挙となった。コース選 定をはじめ、女性アナウンスやドライバーの人選、食事や休憩場所の手配、さらには党幹部が来県した時の警備など、恐らく今までで一番大規模な遊説活動と なったのではないか。とにかく無事故第一だ。

7月17日(火)
今日、高野車は秩父方面を終日遊説。私は事務所で留守番だが、秩父といえば、青年局キャラバン隊で2度にわたって赴いた地域。できれば県内最奥の大滝村 にも高野車を回らせたかったが、時間的な理由で断念。でも、県北の支援者は高野遊説車が行ったことで、きっと喜んでくれたことだろう。キャラバン隊とし て、公明議員空白区の地でも懸命に街頭演説をやったことを思い出す。

7月19日(木)
午後の北坂戸駅街頭に再び神崎代表が入る。聴衆もすごい数で代表も気合の入った演説。この日の担当者は鶴ヶ島の五伝木市議。アバウトな遊説隊長の私とは対照的に、いつも緻密な頭脳でサポートしてくれ、本当に助かる。
北坂戸駅の後、浜田卓二郎参議院議員の後援会「卓政会」が中心になってのミニ街頭を西部地域で連続3ヶ所実施。この後も一貫してそうだったが、本当に浜田さんは頑張ってくれている。また、演説も上手い。
しかし、2ヶ所目から雨が降り始め、3ヶ所目では激しい雷雨となってしまい、遊説隊もびしょ濡れ。休憩場所でいただいた配慮が本当にありがたかった。

7月20日(金)
本日の「海の日」から、日曜日までの3連休はいわば選挙の勝負どころ。今日は、志木駅、所沢駅、川越駅と3ヶ所に初日にキャンセルとなった浜四津代表代 行が入っての大結集街頭が無事成功。各駅ともすごい盛り上がりで、街頭終了後に、確認団体車のデッキに高野候補と浜四津さんが乗って駅ローターリーを一周 したが、駆け寄る人々で危険なぐらいだった。
各駅前とも最後は公明党の貸切状態という雰囲気になってしまった。特に、川越駅前は夕刻で暑さも和らぎ、演出も有志メンバーの協力でバッチリだったた め、最高の盛り上がり。高野候補、浜四津さんの演説も最高潮で、「実績で勝負するのが公明党です!」とやると、駅周辺を埋めた数千人の聴衆から一斉に「そ うだー!」とのかけ声がかかる。ストレス解消にもなった(?)本日の街頭演説会だった。

7月23日(月)
いよいよ後一週間となる。一切無事故で運行してきた遊説だったが、比例区車でここのところ、小さな事故が2件続いた。一つは、女性アナが手を振っていた 際に、車が左に寄ったため、窓外に出ていた手がポールにぶつかったというもの。聞いた話しでは、手がもげてしまう場合もあるそうだ。もう一つは、急ブレー キを踏んだため、女性アナが車内の横棒におでこをぶっつけたもの。どちらも大事に至らず本当に良かった。
比例区の事故だけでなく、高野本隊の遊説隊にも切迫感が欠けているとの指摘あり。また議員サイドにも経験からくる油断が、一部には感じられる。17日間 の長丁場だけに、油断すると日程を「こなす」という意識になってしまいかねない。形式ではなく、一回、一回の遊説にどれだけ一念をこめ、票拡大が図られた かが、遊説隊の真価と責務であると気を引き締めなおす。
マスコミ各社の情勢分析によれば、高野候補はまだ混戦から抜け出していないようだ。公示日からずっと猛烈に暑い日が続いていて体力の消耗も激しい日々だ。

7月24日(火)
入間市駅、武蔵浦和駅、東川口と街頭が続く。神崎代表も公示以来、3 回目の来県。それだけ情勢が厳しいということだ。神崎代表も「勝たせてください! 勝たせてください! 勝たせてください!」と最後は3回連続して訴え る。今回、私は裏方であり、全くマイクを握る機会がないが、できることならマイクを握って「何としても勝たせてください!」と叫びたい気持ちでいっぱい だ。終盤で求められるのは支持者を奮い立たせる心からの訴えしかない。

7月25日(水)
今日は県東部の中小都市を午後から小刻みに4ヶ所回る街頭。私は最終盤のスケジュール検討などのため、同行せず。県東部はキャラバン隊で鍛えた青年局議員が充実しているため、きっとしっかりやってくれるはずだ。

7月26日(木)
いよいよあと3日間。午後の大宮駅東口、浦和駅西口、川口駅東口街頭には急遽、浜四津さんが入る。高野候補も真っ黒に日焼けして、何国人だかわからない ぐらい。公示以来、記録的な猛暑が続いていたが、ようやく暑さも一段落し、少しすごしやすくなる。体力的にも限界に近い高野候補にとっても我々にとっても 助かる。
そう言えば、応援演説で浜田参議院議員が「浜四津さんもお化粧の下は日焼けで真っ黒です」と言っていた!?  川口駅東口はすごい結集。川口市公明党にはいい意味で一種独特のムードがある。盛り上がらなきゃ選挙じゃないという熱気を感じる。地元の山本県議が「高 野ひろし、高野ひろし、高野ひろし、高野ひろし、高野ひろし」と名前を5回連続して絶叫。山本県議は奥さんに「あなたの大きい声で5回も高野ひろしと名前 を叫べばきっと皆の耳に焼きつく」と言われたそうだ。

7月27日(金)
午前中のみずほ台駅、大井サティ前の街頭に同行。特に、大井サティ前は県内でも最高の街頭場所ではないかと思う。区画整理された広々とした道路に面し て、緑豊かな芝生の公園が広がっており、そのそばには大型スーパー・サティがあるという理想的なロケーション。キャパとしては、万に及ぶ結集が混乱なしに 可能ではないか。朝霞総支部の議員さんもがっちりと体制を整えてくれ、安心できる。
午後は、事務所へ戻り、最終日の準備に専念する。実は、この日の午後、今回最大のピンチが訪れたが、何とか守られた。そのことを知ったのは後日であった。
マスコミ情勢では、高野候補の地元、そして私自身の地元である所沢が弱いという。いよいよ最終日の明日は、所沢で打ち上げ街頭を含む最後の勝負となる。

7月28日(土)
長かった選挙戦もいよいよ最終日。今日は食事や休憩もすっ飛ばして、できる限り大都市での街頭演説に賭ける日程だ。朝の川口市から始まって、草加、南越谷、大宮、浦和と駆け抜ける。各地とも、最大限の結集でこたえてくれる。
「結集したからといって票が増えるものではない」との意見もあったが、私としては、支持者の皆さんにぜひとも高野候補の最後の訴えを聞いてもらいたい、 姿を見てもらいたい、そうでなければ公明党の選挙じゃないし、。そのための遊説隊だと思っていたのでとてもうれしい。実に4回目の来県となった神崎代表を 朝から迎えて、各地とも最終日にふさわしい盛り上がりであった。
夕刻より遊説車は最後の決戦場となった所沢市へ向かう。午後5時半からの航空公園駅前街頭は恐らく駅始まって以来の人出ではなかったか。私も今回の選挙 期間中、初めて司会としてマイクを握らせてもらい、心を込めて最後の支援を訴える。寺崎さんよりもらった「良かったですよ」の一言にホッとする。  そして、いよいよ打ち上げ会場となった所沢ワルツ前での街頭演説。開始時刻の7時15分にはワルツ前が支持者の大結集でデッキも人が鈴なりである。打ち 上げ街頭の司会は遊説隊長がやれとの配慮をいただき、暗闇迫る中、スポットライトを浴びる遊説車の上へ。
高師会の勝野会長、斉藤市長とも素晴らしい話をしてくださる。今回の選挙戦を終始共に戦ってくれた浜田参議院議員も「最後の打ち上げは浦和じゃなくて やっぱり地元の所沢なんです」と市民に訴えてくれる。高野候補も最後の力を振り絞って渾身の訴え。最後は聴衆の中に入って握手、握手の連続。候補はもみく ちゃとなった。ある先輩議員いわく、「これで所沢は劣勢を引っくり返した。冷静な所沢が初めて狂ったんだから!?」という打ち上げ街頭となった。
思えば、今年の正月に始まり、そしてゴールデンウイークも連日、青年局キャラバン隊として、高野候補を擁して県内全域を遊説して回ってきたのは本当に今回の戦いのためであったと改めて実感する。
そうでなければ、一年生議員の私には到底遊説隊長という重責は務まらなかったと思う。また、未熟な遊説隊長であった私をいざという時に支えてくれたのは、やはりキャラバン隊として共に戦ってくれた青年局議員諸兄であったと思う。

2001年4月25日記

小泉純一郎・元厚生大臣が圧倒的な地方の支持を受け、自民党総裁に選出された。
いろいろ考えさせられた選挙だった。

まず、国民(自民党員)の「政治を変えてほしい。何とかしてほしい」という気持ちが非常に強いということを改めて認識させられた。小泉氏の「自民党を ぶっ壊す!」等の過激な発言がやはり共感を呼んだというか、ウケたのではないか。「ぶっ壊す」とまでいうのなら、自民党を離党すればいいのではないかとも 思うが……。最強の応援団だった田中真紀子氏の過激な発言も同様だ。

次に、自民党はやはりしたたかだということ。特に亀井元政調会長が本選を降りたのはやはりすっきりしない。変わり身の速さはさすがというか、よく覚えておかないといけないと言うべきか。やはり政権党であり続けるというのは自民党を自民党たらしめる最大の力学のようだ。

また、政策は伝えるのは本当に難しいな、とも思った。小泉氏は「構造改革なくして景気回復なし」と訴え続けたが、小泉氏の言うところの構造改革の中身が 最後まではっきりしていなかった。冷静に聞いていれば構造改革とは何かを本当に理解しているのかどうか疑わしい感じですらあった。これに対して、他の3人 はずっとすっきりした政策であったと思う。

何でも構造改革と言っておけばカッコがついてウケる。政策よりもイメージで判断された、そんなムードであった。これは民主主義にとっては危険な兆候ではないか。
そして、ローマ帝国が滅び、平家も滅びたように、遂に経世会・旧竹下派の時代も終わりを告げたということ。国会議員の数で他派閥を圧倒し、実質的に自民 党を支配してきた経世会だが、これからは国会議員の数(永田町の論理)ではなく、国民の支持(世論)をバックにしなければ力を発揮できないということだ。 加藤・元幹事長が仕掛け、挫折した試みが別の形で僚友の小泉氏が替わって成し遂げた。
反主流派の取るべき道はこれしかないわけだが、この事実が示す意味は政界にとって非常に大きいと思う。佐々木毅東大教授が、政党をバイパスして国民に直接支持を求めるやり方と雑誌で論評していたのを思い出す。政党としてのアイデンティティがまさに問われる問題だ。

経世会の源流たる田中角栄氏が完成させた「民主主義は多数決→数は力→力の源泉はカネ」という政治力学が通用しなくなり始めたことは確かだろう。しか し、今回の総裁選挙からみる限り、数の政治力学に代わる原理は政策ではなかった。それはイメージであり、ムードだったように思う。もちろん選挙戦術として 学ぶべき点が多々あることは認めた上で、本当に日本の民主主義にとって良いことなのかどうか。危惧を覚える。

今 日、県庁に向かう車中でラジオを聞いていたら、共同通信社の緊急世論調査の結果を流していました。森内閣の支持率が下がり、不支持率が上がったことと、誰 を首相にしたいかの世論調査も発表していました。 それによると、首相にしたい政治家の第1位は田中真紀子、2位は石原都知事、それに菅直人、小沢一郎と続いたそうです。

この人たちの名前を聞いて、どこか共通点があるなと考えてみると、「強さ」が共通しているのではと思いました。しばらく前は「人にやさしい政治」などというフレーズが流行ったわけですが、今は多くの人が強力に引っ張って行ってくれる人に期待を抱いているようです。

首相候補上位に挙げられた政治家は、政策・主張はかなり違うと思いますが、いずれにしても歯に衣着せぬ発言でマスコミに多く登場し、敵も多そうな人たち です。長野知事選ではありませんが、現状を何とか変えてほしい、この人なら変えてくれるのではないか、と思わせるのでしょう「強さ」が求められるのは、そ れだけ今の日本社会が「やわ」になっていることの裏返しでしょうし、閉塞感が深いということなのかもしれません。

私は、この人たちに首相になってほしいとは思いませんが、今何が求められているのかという点、政治家・政党の宣伝戦略的な面では、大いに考えさせられたニュースでした。

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