エッセイ

 六月一日に私を含む公明党県議団四人は、東日本大震災で壊滅的被害を受けた岩手県大槌町を視察、避難所も訪問し、支援物資を届けてきた。私にとっては、初めての被災地入りであり、まさに百聞は一見に如かずの体験であった。その模様を報告したい。
◇       ◇
支援物資を積んだ車二台で盛岡を朝八時に出発。早池峰山を回り込むように三時間弱。のどかな山村風景が続き、「あまり地震のつめ跡がないね」などと話していた時、目的地の大槌町の海岸線が近づいてきた。
その風景は突然現れた。津波に襲われ残骸となった家とガレキの山。その中で重機が解体を続けている。外見はしっかりしていそうな家も中は空洞だったり、メチャメチャのものが多い。映像で見慣れたはずだが、実際に見ると驚きとしか言いようがない。
さらに、三陸海岸を南北に走る国道四五号線を越え、海岸沿いに開けた市街地に入れば、そこはまさに想像を絶する光景であった。
何もないのである。津波でみんな持って行かれてしまったのだろうか。コンクリートづくりのビルがかろうじて廃墟のような外観をとどめているだけで、あと は何もない。土台が残っているだけだ。映像で見た空襲跡の焼け野原のようだ。衝撃を受けつつ、廃墟の街を抜け、臨時町役場が設けられている高台の小学校に 向かった。
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町役場は津波で町長はじめ数十人の職員を失うが、現在は東梅副町長中心にプレハブづくりの仮庁舎で懸命の活動を続けている。お話を伺うと、職員自身も被 災者が多く、避難所から仮庁舎へ出勤する者も多いという。また、業務に追われ、五月までは休みを取れない状況が続いているという。あらためて町長選挙をし ないといけないので、選挙事務の経験がある行政職員の応援がほしいことや、町に住み続けるためには雇用の場の確保が必要など、切実なご意見を伺った。
仮庁舎の裏山には高台があり、そこに上がると大槌町全体が見渡せる。大槌湾沿いの市街地は九五%が津波の被害を受けた。本来は住宅や工場やスーパーがあったはずの市街地は、見渡す限りの更地が続いており、言葉が出ない。
◇        ◇
今回、私たちには大槌町出身のYさんという案内役がいたため、埼玉から運んだスイカや女性用の下着といった支援物資を避難所に直接届けることができた。
ある避難所でのことだが、中心者の方がマイクで「女性用の下着が届きました」とひと声をかけると、続々と避難者の方々が取りに来られた。明らかにモノが ないのである。しかし、町の中心部から少し離れたところにある物資集積所の大テントには、おそらく全国から送られたであろう山のような物資があった。利用 価値が高いと思われる自転車も百台以上は並んでいた。せっかく物資はあっても、避難所まで届いていないのではないか。副町長さんは、震災後、町職員は休み も取らずに働いてきたと言っていた。人出不足のために、点在する避難所へ必要なモノが届いていないのではと思われた。
◇       ◇
一階部分が水につかったものの既に再開した幼稚園。道路だけは通れるものの、ガレキの山が手つかず状態の集落。津波の恐るべき力で破壊されてしまった堤 防。小学校の校庭に急ピッチで建設される仮設住宅。被災現地を回ったのは正味一日だが、忘れることのできない光景と、復興に向けて立ち上がろうとする人々 に出会うことができた。現地に赴き、その空気に触れられたことは、私にとって大きな経験だった。復興支援と埼玉の今後にぜひとも活かしていきたい。

【写真】
(1)町のメインストリート前にて(右から2人目が筆者)
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(2)役場裏の高台から街を望む
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(3)支援物資に多くの人々が集まってきた
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(4)仮庁舎にて副町長から話を伺う
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家庭新聞2010年新年号に寄稿

昨年秋、埼玉県と姉 妹関係を結ぶ中国・山西省を、県議会の友好議員連盟による視察訪問団の一員として訪れることができた。私自身には初めての中国訪問であり、四泊五日という 短期間ではあったが、とても刺激的で勉強になった旅であった。思いつくままに、いくつかの印象を記してみたい。

◇スリリングなドライブ◇
秋天の北京空港から初日の目的地・五台山へと専用バスで向かう。窓外に広がる北京市内は高層ビルの建設ラッシュ。高速道路も市内は渋滞気味で、高い経済成長を続ける現代中国の象徴的な姿である。
ところが北京郊外を出て河北省に入ると風景は一変。道路の両側には収穫を終えたトウモロコシ畑が一面に広がる。畑にはかなり年季の入ったレンガ造りの集落 (一軒家はない)がセットとなっている。この風景がなかなか変わらない。確か、一時間以上はこの風景が続いたと思う。時々、羊を追ったり、これから後、し ばしば目にすることになるオート三輪で作業をする農村風景が目に入り、これまた典型的な中国を感じる。北京空港から約四時間、夕闇迫るころ、ようやく高速 を降り、一般道に入るが、ここからがまた長かった。
日本と違い、道路には全くと言っていいほど街灯がない。夜道をヘッドライトだけを頼りに車は進む。それなのに、運転手は頻繁に追い抜きをかけるのだ。前方 に遅い車があると「パパパーッ」とクラクションを鳴らして、追い抜く。しかし、こちらだけでなく対向車も同じく追い抜きをかけてくるので、おっかないたら ありゃしない。加えて、道には歩行者をはじめ、小さなバイクや自転車、懐かしいオート三輪などが入り乱れている。「あー、危ない」と何度も声を挙げそうに なるスリリングなドライブが三時間以上続いた夜九時半。疲れ果て、おなかもへって、初日の宿・五台山に到着した。
しかし、一般道を通ったことで、庶民の生活が垣間見ることができた。道路両側に続くレンガ造りの民家は、日本なら廃墟と見まがうような家々も多かった。思 わず、「あー、こんな所に住んでるんだ」とつぶやく。北京の高層マンション、延々と続く広大な農村、街道沿いの質素な家々……。初日にして中国の圧倒的な 何かにやられてしまった。

◇全然違う本場の中華料理◇
今回の旅でひそかに期待していたのが、本場の中華料理。しかし、山西省で食べた中華料理に日本でおなじみのものはほとんどなかった。味付けも全然違う。 酢豚もない。エビチリもない。牛肉のオイスターソース炒めもない。焼きギョーザももちろんないのだ! 日本人好みの甘辛い味付けをしないし、どうやら醤油 をあまり使わないようだ。薄味のものが多く、何にでも独特の香り付け(たぶん八角と思われる)がされていて、これが慣れるまで苦しい! 最初の晩などは、 私も含めて、皆さん、食べられるものが少なかったようだ。
結局、ホテルの朝食ビュッフェ以外は昼夜すべて中華料理で最後まで押し切られた。現地の人々からすればおそらく豪勢な料理なんだろうけど、口に合わないと苦しいし、もったいない。

◇四半世紀に及ぶ友好関係◇
ところで、山西省は面積が埼玉県の四十一倍、人口も三千四百万人と約五倍。省都の太原市(たいげん)だけでも人口三百五十万人の巨大都市である。埼玉県のお相手としては大き過ぎるくらいである。
埼玉県と山西省との友好関係は正式な協定書を締結したのが、一九八二年。既に四半世紀を超える関係である。県立がんセンターや県小児医療センター、県農業大学校などに中国研修生を受け入れたり、双方の交流が進められてきた。
今回は、上田知事と山西省長との間で、経済面や環境面で、より実質的な協力を行っていいこうという協定が結ばれた。日本側は二十人を超える県内の企業経 営者も参加したので、今後はビジネス面での交流も期待される。山西大学や山西医科大学、中国の議会に相当する人民代表大会なども訪問することができた。
特に印象深かったのは、人民代表大会の視察。中国の県議会のような存在だが、委員数は約五百二十名。その中から専従の常任委員六十人余りが選ばれている。 この常任委員は明らかに政治的エリート集団で大きな力を持つようだ。県議会とは比べ物にならない立派なビルに人民代表大会はある。いろいろと話を伺った が、記憶に残っているのが経済状況の数字。山西省人民の年間可処分所得は農民で約四千元(約六万円)、都市部住民で約一万三千元(約二十万円)という。所 得水準は日本の一九六〇年代といったところだろうか。一方で、このビルの玄関には、高級車(黒塗りのアウディ)が何台も停められていた。
ところで、中国の政治的指導層は共産党員で占められている。経済は開放され、市場経済が進み、不動産バブルが起きても、結局は中国共産党の政治的指導権は揺らいでいない。議会も行政機構も、そして軍隊さえも最終的には共産党の指導下にあるのだ。
私には、この中国共産党という存在は、現代の「王様」のように思えた。余りにも広大な国土と膨大な民。これを統治するには、下からの民主主義では不可能に 思える。むしろ、王朝政治のような中央集権的な統治の方が向いているのではと思える。四千年の歴史を持つ中国人民はそのことを肌で理解し、内心は「うまく 統治されたい」と思っているのでは、とすら感じた。いにしえの王様の代わりに現在は「中国共産党」がいる。私が勝手に抱いた中国の一イメージである。

◇大きな力はゆっくり動く?◇
我々の主な滞在先となった省都・太原市は既に述べたように人口三百五十万人の大都会。もともとは「中原(ちゅうげん)」と呼ばれる地域の一つであり、明の 時代には中国一の商都として繁栄した由緒ある都市。碁盤の目状に道路が開かれ、太い道路は何と片側6車線もある。ちなみに、歩行者用信号機はほとんどな い。道路の横断は車を上手にやりすごしたり、除けながら渡らなければならない。我々日本人には至難のワザで、まさに命がけの横断となる。
市の中心部や新たな開発が進む地域では、高層マンションの建設ラッシュ。さいたま新都心を数十個合わせたようなイメージだろうか。こんなに作って一体誰が 住むんだろうと余計な心配をしたくなるくらいだ。しかし、街にはとにかく人が多い。銀座や新宿など、日本の大都会は住んでいる人々はわずかだが、中国で は、高層ビルから一本路地裏に入れば、昔ながらの古いアパートがたくさんあり、露店の食堂で朝がゆをすする人々や、早朝の公園で太極拳を舞う人々の姿が気 軽に見ることができる。近代的な高層ビルとその裏で営まれている人々の変わらない生活。このギャップがなんとも言えない中国の魅力だろう。
昔、中国を舞台にしてとても印象に残ったサントリーオールドのCMがあった。優雅な太極拳の舞いと朝もやの街を行き交う自転車の群れという絵柄に、「大 きな力はゆっくり動く」というナレーションが入るやつである。実際に訪れてみて、既にテイクオフした中国はいっそう「大きな力」となり、「ゆっくりと、か つエネルギッシュに」動いているように思えた。旅の途中、「さすが中国…」と何度もつぶやいてしまった私であった。

日刊新民報2010年新年号に寄稿

◇順番に明確な変化が◇
昨年十一月の県戦没者追悼式で、政権交代を改めて実感する場面があった。この追悼式には代理も含めて多くの国会議員や我々県議会議員も出席し、名前を呼 ばれた上で順次、献花を行う。従来は自民党国会議員が一番に呼ばれていたが、今回はきっちりと民主党国会議員が一番になっていたのだった。国会議員の次は 県議会議員だが、こちらは従来通り。県議会で過半数を占める自民党が先で民主党が二番目であった。
思わぬところに政権交代の影響が出るのだなと、式典を運営する県当局の苦労に改めて同情するとともに感心してしまった。また、英霊の皆様も「ほーう」というような思いで見つめておられたのではないだろうか。
◇八ッ場ダムは納得できない◇
政権が交代したのは国政であるが、その影響は当然地方にも及ぶ。埼玉県にとってまず降りかかってきたのが「八ッ場ダム」の建設中止問題である。事業予算 規模で既に三分の二を支出し、工事としてはダム本体工事のみを残す八ッ場ダムが、突然ストップしてしまった。民主党出身の上田知事ですら、「現場の声も聞 かないで無責任」「中止すれば逆に支出が増える」と猛反発。埼玉県議会でも、九月定例県議会では一般質問者十五人のうち十二人が八ッ場ダムについて質問、 さまざまな角度からその必要性が議論された結果、「八ッ場ダムの建設推進を求める意見書」を可決し、国に建設推進を強く要望した。国は一方的にやめますよ と言ってきたが、埼玉県は知事も議会も、そんな身勝手は許しませんよということである。
そもそも民主党がマニフェストに八ッ場ダム中止を掲げた目的は新しい財源の確保である。ところがどっこい、中止した場合、地方の負担金返却などで、かえっ て支出が増えてしまう。この初歩的な問題に気づいていなかったのではないか。ダム建設中止は何となく環境に優しい感じで、耳障りが良い。しかし、こと八ッ 場ダムに関しては、見当違いではありませんかと強く申し上げたい。
◇それでも交代を望んだ民意◇
ほかにもいろんなことが心配される。前政権が補正予算を組んでまで実施した各種基金事業はきちんと継続されるのか。特に、介護職員の待遇改善など、一度実 施したものを途中で止めるのは甚大な影響を及ぼす。これと逆の意味で心配なのが、新政権が打ち出した「子ども手当て」である。一人月額二万六千円の給付額 は大きすぎる。いったん始めてしまったら、ストップするのは大変だ。
「事業仕分け」も話題を呼んだ。国の事業の在り方を公開の場で議論するという斬新な絵柄はマスコミの関心を大いに集め、大方の国民からは好意的に受け止め られているようである。一方、「公開処刑だ」「どういう資格で民間人が入っているのか」等々の批判も一理ある。今回のやり方をパフォーマンス重視と受け止 めるか、画期的と受け止めるか、難しいところだが、両面あるのだろう。
さらに、「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで新政権は、公共事業費の削減に熱心だが、建設業界はすそ野が広いだけに事業費削減は間違いなく 景気に悪影響を与える。深刻な問題である。また、ガソリンなどの暫定税率を廃止すれば、道路関係予算が減るので、私たちの生活に身近な圏央道や東京狭山線 の工事に影響が出るかもしれない。
しかし、政権交代というのは、まさにこういうことなのだろう。こういうリスクも含めて、国民は「交代」を選んだと受け止めよう。
◇謙虚に受け止め再出発◇
私ども、公明党も自民党とともに敗北し、野に下った。自民党との連立政権に参画してほぼ十年、歴史に大きな句読点が打たれたように思う。政権の一翼を担う ことで数々の政策を実現できた反面、「与党ボケ」して公明党の良さが失われたのでは、などの厳しい批判をいただいている。率直に受け止めたい。もう一度原 点に帰って、より多くの国民の皆様から期待され、必要とされる政党へ生まれ変わるチャンスでもある。謙虚に民意と事実を受け止め、再出発していく決意であ る。

日刊新民報2009新年号に寄稿

  私はみのもんた氏を個人的には知らないし、恨みがあるわけではないが、昨年はみのもんた氏が司会を務める人気番組「朝ズバッ!」に公明党を含む与党は相当 やられてしまった。古舘伊知郎氏の「報道ステーション」にもかなりやられた。両氏に象徴されるテレビマスコミの影響力ははかり知れなかった。
長寿医療制度は「年寄りいじめ」。定額給付金は「バラマキ」。一度貼られたレッテルをはがすことは難しい。まあ、新聞といい、テレビといい、マスコミの 仕事の一つはレッテルを貼ることだから、仕方がないとも言えるが、それにしても我々与党から言わせれば余りにも一方的だった。
ちなみに、長寿医療制度については、野党が廃止法案を出した翌日の新聞各紙はその社説で、「ただ廃止するだけでは無責任。長寿医療制度の骨格は必要」という趣旨を一様に載せていた。さすがに、新聞報道はもう少し掘り下げた角度から論評している。
◇     ◇
もちろん、みのもんた氏や古館伊知郎氏は選挙で選ばれた政治家ではない。多くの視聴者もテレビ番組がショーであり、視聴率が番組づくりに決定的な影響を与えることも知っている。にもかかわらず、下手な政治家よりもずっと政治に影響力がある。悔しい限りではないか。
いくらテレビが視聴率本位とは言え、ウソは許されない。「事実」を取り上げる。ただ、その「事実」は一面的である。例えば、「保険料がこんなに増えた」 という。増えたことは事実だが、なぜ増えたのかの説明がなければ不安をかきたてるだけだ。ウソではないが、編集サイドの意図によって「選ばれた事実」がこ れでもか、これでもかと、何百万、何千万の人々にいっぺんに流されるのだから、破壊力は凄まじい。
聞くところによると、アメリカのマスコミは必ずしも不偏不党ではないという。有力紙が特定の政党や候補の支持を鮮明にした上で、報道することもあるとい う。この方が有権者にとってはまだ分かりやすい。日本のマスコミもそろそろ、不偏不党という建前を捨てて立場を鮮明にしてはどうか。責任が明確になるでは ないか。自分たちだけ安全地帯にいて、言いたい放題というのはズルイ。
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所沢市には苦い思い出がある。10年前のあのダイオキシン騒動のとき、当時の「ニュースステーション」で久米宏氏が「所沢産の野菜から高濃度のダイオキシ ンが検出された」と発言。農家は甚大な風評被害を受け、所沢市民を大きな不安に陥れた。テレビ報道の在り方に大きな疑問が投げかけられたことを思い出す。
政治は世論に大きく影響される。今や、「内閣支持率」は解散総選挙を判断する最重要項目になり、その数字に与野党の国会議員や我々も一喜一憂する日々だ。 だが、待てよ、である。世論に大きく左右されるのも政治の宿命だが、本来、世論を作り出し、リードしていくのが政治の役割のはずだ。「みのもんた」氏に負 けてはならない。彼らはさすがにしゃべりのプロフェッショナルであり、実に手強いが、こちらも同じく言葉が勝負の職業である。
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街頭演説、手作りチラシ、市民相談、ミニ集会、ネット媒体。我々にだって使える武器はいろいろある。ましてや「みのもんた氏」はブラウン管(今は液晶画 面?)の中でしか会わないが、「西山淳次」はあなたの目の前にいて、汗をかきかきしゃべっている。ましてや「みのもんた氏」はあなたの話を聞くことはでき ないが、「西山淳次」は、あなたの話を一生懸命聞きますよ!
今年はいよいよ衆議院選挙の年。「マスコミによれば」与党は大逆風だそうだが、負けてなるものか! ひるまず、臆せず、我々の主張を我々の言葉で語り抜こう。与党の同僚議員諸君、頑張ろうではありませんか!

家庭新聞2009年新年号に寄稿

 先日、支持者の青年より、「今の大変な経済状況の中で、議員にいろいろと聞きたいことがある。友人も呼ぶのでぜひ時間をつくってほしい」との要望があり、三十代の若者数人と比較的じっくりと懇談する機会を得たが、とても勉強になった。
建設業に従事する青年の意見。「公共事業がどんどん減ってきて、この先どうなってしまうのか。しばらく前まで好景気と言っていたが、まったくその実感が ない。今後どうなってしまうのか、とても不安」。茶髪にピアス、金のネックレスをした現代風の彼は、四人の子供がいるという。「トラックの運転手をやって いるが、不景気で積荷がだんだん減ってきている。まるで自分の給料が減っていくように見える」。「材料費が上がっているのに、注文主から買い叩かれて利益 がほとんど出ない」(看板製作業)などなど、現在の大変厳しい経済状況を反映した声が多く出された。
約二時間。できるだけ若者たちの本当の声を聞こうと、耳を傾けた。申し訳ないことに、彼らの指摘にすべて満足のいく解答などできるはずがない。それは多 分、麻生総理でも同じだ。もちろん私の勉強不足や力不足もあるが、政治は万能ではない。できることは限られている。しかし、私を呼んでくれた青年が最後 に、「とにかく今日は議員が来てくれた。俺たちの話を聞いてくれた。そのことがうれしい」と言ってくれた。私の方こそ、うれしかった。少しだが彼らと、今 の若者たちと心が通じ合ったように感じた。政策を考えるとき、決断を迫られたとき、彼らのことを忘れないようにと、自分に言い聞かせた。
◇    ◇
建設の是非が論議されている八ッ場ダム(群馬県)問題で、昨年八月に反対派の代議士らが大挙して現地を訪れたが、その視察の“ぞんざいぶり”が地元町長をはじめ、地域住民の怒りを買っているという。
実は、その一月前に流域六都県の公明党議員団は同ダムの建設現場を視察し、私も参加している。その時は、建設現場や水没集落の移転地を回り、関係者との意 見交換を含めて丸一日を要したが、反対派議員の視察は約一時間半(読売新聞)。地元の東吾妻町長や長野原町長との懇談もわずか2、3分だったという。ダム 建設反対をアピールするための“アリバイ”に利用された形の地元関係者の怒りは当然だと思う。
ダム建設は巨額な国策プロジェクトである。その是非は論議されてよい。しかし、もっとも直接的な影響を受ける地元住民の声をきちんと聞いたか、少なくと も真摯に聞こうとしたかどうかは、とても大切であると思う。その上で、反対の結論を出しているのか。それとも、「公共工事悪玉論」のシンボルとして、選挙 目当ての反対なのか。
私たちがうかがった、地元の各町長はじめ、住民の皆さんの意見は大変重いものであった。長年の反対運動を経てようやく合意、今は早期完成を望んでおられ るが、突如わいてきた、主に都会からのダム不要論。まさに地元は政治に翻弄されてきた。地域コミュニティは崩壊し、高齢化は否応なしに加速する。未来が見 えない中で悪戦苦闘しておられる姿に、一同、政治の責任の重さを痛感させられたことだけは間違いない。「会い、聞かなければ」見えてこない、感じられない ことであった。
建設反対派の視察について、地元の中学生はこう作文に書いたという。「今まで一度も来なかったのに、東京から来たえらい人はダム反対と言って帰った。生活再建に努力している地元住民の声も聞こうともせずに」。
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聞くことはむずかしい。急いでいる時など「早く結論を言ってくれ」と心の中で思うことだってある。でも、もっと聞かなくてはと思う。政治家はしゃべるこ とも大切だが、聞くことの大切さを今一度見直したい。そうでなければ、政治家の言葉は心を失い、人の心を打つこともできないのだから。

家庭新聞2008年暑中見舞い号に寄稿

 過日、会派(公明 党県議団)で沖縄を視察する機会を得た。私にとっては初めての沖縄訪問であり、楽しみにしていたのだが、とても得ることの多い視察であった。地域振興、モ ンスターペアレント対策、公立病院の医師確保という3つのテーマについて、関係者の話を聞いた視察だったが、とりわけ参考になったのが、うるま市にある沖 縄県立中部病院の「臨床医師研修制度」であった。
「医師不足」、特に、病院勤務医の不足が大きな政治課題となっている。産科、小児科医の不足や、救急医療のたらい回しも大きなニュースとなった。埼玉県 も4つの県立病院を運営しているが、今は病院長の人脈で出身大学やコネクションのある大学医学部から何とか医師を確保しているそうだ。しかし、病院長交代 の時期を迎えつつあるため、早晩、人脈だけに頼った医師確保策では行き詰まると思われる。
公立病院にとって優秀な勤務医を確保することは、全国共通の課題のようだが、この点で全国から注目を集めているのが沖縄の県立中部病院である。視察で は、ご多忙にもかかわらず、直接、病院長から説明をいただくことができた、いろんな意味で大変参考になった。朴訥な人柄の院長先生はまず、沖縄戦から話を 始められた。

先の大戦で国内唯一の地上戦が行われた沖縄。戦後、医師数が三分の一に激減するという壊滅状態の中、捕虜収容所での疾病治療から医療再生は始まった。外 地からの引き上げ者が増加する一方、沖縄の医療事情はさらに悪化。何とか医師を確保しなければと、内地の医学部への「国内留学」制度も実施されるが(院長 先生も留学3期生だそうだ)、帰還率は今一つ。結局、医師免許を取っても沖縄の病院には十分な臨床能力がないことが大きな原因だった。
そこで米軍統治下の1967年から、沖縄県立中部病院においてユニークな臨床研修制度が始まる。ハワイ大学と提携したプログラムをスタートさせ、指導医 もハワイ大学から招かれた。そして研修医が救急、内科、小児科など全科の診療を直接担当する米国方式(スーパーローテーション)が導入され、実践的な研修 が充実していく。さらに、指導医の8割が同病院の研修出身者で、若手の育成に熱心なことが医師の定着につながり、病院全体で新人医師を育てようという雰囲 気がかもし出されていった。昨年までに研修を終えた740人のうち、県内定着率が73.6%と大きな成果を挙げるまでになった。今では離島という特殊事情 を抱える沖縄の医師確保に大きく貢献するだけでなく、全国の関係者が「沖縄に学べ」と言われるまでにいたっている。

まさに、「ローマは一日にしてならず」で、長年の努力が、今、実っていることを強く感じた。院内も見学させていただいたが、研修医の寮や24時間開放で 洋書が並ぶ図書室などにも研修医重視の姿勢がうかがえた。卒業後の医学生が勤務先を選ぶとしたら、待遇面もあろうが、まず何よりも豊富な臨床経験が得ら れ、優秀な指導医がいる病院を望むだろうことは、門外漢の私にも容易に想像できる。その点で、沖縄県立中部病院は医学生たちから高い評価を得ており、県内 出身者だけなく、県外からも多くの臨床医を呼び寄せる研修先進地となっている。
また、同病院は救急患者の「たらい回し」のない病院でもある。研修医が当直の際、救命救急センターを担当し、ベテラン医師とペアを組んで治療に当たる。 研修医の力を生かすことによって、24時間高度な医療を提供することが可能になり、患者のたらい回しが起こらない。地域住民にとって本当に心強い病院であ る。
一つ意地悪な質問をしてみた。確かにいい病院だが経営状態はどうなのか。院長先生に率直に聞いてみると、「ベッド当たりの医療単価は全国で下から2番目で す」との答え。つまり、非常に優秀で、この点でも合格であった。いささか褒めすぎのような気もするが、素晴らしい自治体病院のモデルケースが沖縄にあっ た。4つの県立病院を抱える埼玉県にとっても、大いに学ぶべき事例の一つである。

院長先生から医師の研修制度について伺ううちに、私の中にある考えが浮かんできた。「医師は6年間の学部卒業後、前期・後期で約4年間の臨床研修を経てよ うやく一人前扱いの医者となる。その研修が非常に大事なことも良く分かった。ところで、学校の教員はどうだろう?」という疑問だ。
埼玉県の教員研修制度は、初任者(一年目)、5年目、10年目、20年目と、節目節目での研修が行われているようだが、果たして十分な研修と言えるのだろ うか。沖縄の医師研修の話を聞きながら、強く感じた。医者も教員も人間が相手する仕事であり、似ている。大学を出てすぐモノになるとは言いがたい職業の一 つだし、優秀な教員の確保はこれから各県が血眼で取り組むべき重要課題の一つである。この点についても埼玉に帰って、あらためて取り組んでいかなければと 決意をした(余談ながら、わが会派の団長は、「党における議員の研修制度を見直さなければ」とも感じたそうである)。

最後にもう一つ、沖縄で感じたことを。それは「飾らない人柄」に多く出会ったことである。沖縄県庁でお会いした職員も、県立病院の院長先生も形式ばらず、 飾らず、いわゆる「サクイ人」。いい人だなあ、と感じた。そう言えば、私たちを案内してくれたタクシーの運転手さんも、とても気さくな人だったなあ。
1泊2日で駆け足の視察だったが、私の沖縄初訪問はとても有意義で好印象だった。できれば今度はプライベートでぜひ再訪してみたいなと、マリンブルーの海を見ながら思った。

日刊新民報道2008書中見舞い号に寄稿

75歳以上の方を対 象にした新しい医療保険制度である「長寿医療制度」(後期高齢者医療制度)の評判がとてもよろしくない。6月には政府与党として、さっそく一部の手直しを 決めたにもかかわらず世論調査の結果では、まだまだ否定的な評価が多い。与党の一員である公明党の地方議員として、私もさまざまな機会に説明を行ったり、 街頭での訴えも行っているが、一般有権者の方にご納得をいただけるところまでいたっていないのでは、というのが正直な実感である。
その理由の一つは、一部マスコミと野党による「うば捨て山」「お年寄りいじめ」というキャンペーンが効いてしまっているということだろう。増大する医療 費を今後とも安定的に賄うためには、各世代が少しづつ負担しあうことが必要なことは、冷静に考えてみれば誰でも分かる。もし、高齢者の方々の負担をこのま まにする、もしくは軽くすれば、その分を税金か現役世代が担わなければならないのである。
そうしたことを抜きにして、「年寄りから保険料を取るのはケシラン」という大合唱である(旧制度でも大半の高齢者は保険料を納めているにもかかわら ず)。現役世代の負担増やさらなる税負担を前提とした反論なら、一つの見識であろうが、野党の反論は「前の老人保険制度に戻せ」の一点張りである。だか ら、野党4党が出した「廃止法案」の提出に対しては、さすがに新聞各紙の社説は一様に「無責任である」と酷評した。
「うば捨て山」だというが、もし、もとの老人保険制度のままだと、まず「国民健康保険」が崩壊する可能性が高い。従来、自営業者の保険制度というイメー ジが強かった国保だが、今や、現役を退いた高齢者と非正規労働者の割合が増大し、財政的には大変厳しい状況に陥っている。国保税収納率の低下も深刻であ る。これが文字通り「崩壊」した時にこそ、本当の「うば捨て山」なってしまうのである。そうさせないための改革であることをぜひご理解いただきたい。
もう一つ、この制度にとって不幸だったのは、タイミングである。行政の不祥事が相次ぐ中、新制度はスタートした。年金記録問題、元防衛事務次官の逮捕、 道路特定財源の不適切な使用、最近では行政のタクシーチケット使用問題などなど、国民の神経を逆なでする出来事に事欠かなかった。長寿医療制度の説明を 行った際に必ず出る意見の一つは、「西山さんの説明で長寿医療制度の必要性はわかった。でも、国民に負担を求める前に、とにかく税金の無駄遣いをしっかり なくしてほしい」である。これは全くごもっともであるし、正しい指摘だ。
正村公宏・専修大学教授は『改革とは何か』という著書の中で、「問題は、行政の機能不全、財政のムダ、税制の不公平に対する国民の不信が根深いために、 将来のためにどうしても必要と思われる負担さえ国民に求めることが不可能になってしまったという点にあった」と書いている。これは10年以上前の97年に 出版された本であるが、今もその状況は変わっていない。
この秋には、税制の抜本改革が予定されている。人口減少と少子高齢化という避けられない大変化にどう対応するか、まじめな議論をし、結論を導かなければ ならない。正村教授は、同じ著書の中で「説得は改革派の唯一の武器である」と指摘している。議員に与えられた唯一で最高の武器は言葉である。誠実で真摯な 議論は必ず通じると信じ、秋以降の政局に立ち向かっていきたい。

新民報2006年新年号に寄稿

新民報の読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

今年は戌(いぬ)年。実は私、戌年生まれで年男となります。そのせいか犬好きで、我が家でも三〇キロ近いラブラドールレトリバー(♀)を室内で飼ってい ます。名前はハナちゃん。今年で12歳になりますので、何と戌年生まれ。飼い主は「年男」、飼い犬も「年犬」ということになります。

たかが犬、されど犬。今や大事な家族の一員です。朝晩の散歩だけは雨が降ろうと槍が降ろうと休むことはできません。何かと世話は大変ですが、犬と一緒に 暮らすことで実に多くのものを私達夫婦に与えてくれます。「癒し」「安らぎ」「生命の大切さ」。夫婦げんかの時には仲裁に入り、番犬もしてくれます。議員 の家の犬らしく、支持者拡大にも役立ってくれ、ハナちゃんのおかげでだいぶ票が増えたのではないかと思います。

ストレス社会とも言われる現代社会だからこそ、私同様、ワンコやニャンコといったペットに魅せられる人々が多いとみえ、世は空前のペットブーム。犬猫以 外でもこんな動物がペットになるのかというようなニシキヘビやカミツキガメの捕り物がニュースを賑わせています。一方、ブームのかげでさまざまな問題が発 生していることも事実であります。

飼うことを途中で投げ出す「飼養放棄」と結果としての殺処分、虐待、飼い主のいない猫をめぐるトラブル、感染症対策、取扱業者の監督・指導などなど。動 物行政は主に都道府県が所管していますが、本県でもこうした社会状況の変化に合わせて、的確な政策で対応していかなければなりません。折しも、国において 昨年6月に「動物の愛護および管理に関する法律」が改正され、動物行政は曲がり角を迎えています。
動物行政が全国一進んでいるのはおそらく東京都でしょう。飼養放棄され、最終的に引き取り手のいない犬猫はやむを得ず致死処分されているのが現状です が、東京都は収容動物の画像付きの情報をインターネットにリアルタイムでアップし、引取を促進したり、それでも飼い主が出てこない場合は個人だけでなく団 体グループへの譲渡を積極的に行っています。都の登録団体の中には、私もたまたま加入している「ラブラブ団」(主にネット上でラブラドールの飼い主が交流 する犬好きの会です)もあり、大活躍しています。それらの成果が実り、都における犬の処分数は本県の五分の一程度になっています。
また、都は野良猫、つまり飼い主のいない猫の対策でも先進的です。ボランティアで飼い主のいない猫に餌を与え、去勢や避妊手術を自費で行い、不幸な猫の 減少に努力している人もいれば、そうした行為を苦々しく思っている人もおられます。猫問題が住民の対立劇に発展することもしばしばです。この問題を解決す るために、都は「飼い主のいない猫との共生プラン」という事業を立ち上げ、都・区市町村・ボランティアと住民がそれぞれ協力し合って問題解決に一定の成果 を挙げています。

昨年十二月県議会の一般質問では、私も県の動物行政について、こうした東京都の先進事例などを参考に、動物と共生する社会を目指すべき、と訴えたところ です。動物と共生する社会は行政の力だけではもちろんできません。何よりもボランティアの方々の協力が不可欠であり、地域住民の理解が必要です。
奇しくも今年は戌年。埼玉県が「動物と共生する社会」に一歩でも前進する年にしたいものです。戌年生まれの県議にとって、これも大事な仕事の一つと考えています。

家庭新聞2006年新年号に寄稿

家庭新聞読者の皆様、あけましておめでとうございます。今年も何とぞよろしくお願い申し上げます。
市民の皆様の付託により県政に送っていただき、はや七年目の正月を迎えることができました。とかく、県は市と比べると縁遠く、かといって国政ほどマスコ ミでも取り上げられず、市民の方からも「県は何をやっているか分からない」ましてや、「県会議員はもっとわからない」というご意見をいただくこともしばし ばです。そこで、この紙面をお借りして、私の見た埼玉県庁、県議会についてご報告したいと思います。

「民間でできることは民間に」
昨年の衆議院選挙は郵政民営化が最大の争点になり、「民間でできることは民間に」が現在の民意であることが証明されましたが、埼玉県においても「民間にできることは民間に」が進んでいます。
例えば、昨年の九月議会でも、?駐車違反の取締り業務の民間委託?下水道(一部)維持管理の民間委託?県の温泉施設(アカシアの湯)の民間売却が決まり ました。駐車違反取締りは手間がかかる上、どうしても警察官でなくてはならない業務ではありません。民間委託して、余った警察官を犯罪捜査など本来業務に 充てる試みです。下水道は維持管理費が県全体で年間約二〇〇億円の巨額。民間委託でコスト削減を目指します。温泉施設はバブル期の産物で、これ以上の赤字 経営は許されません。

県の台所は「火の車」状態
このほかにも、十二月議会では一八年度からの「指定管理者制度」が導入のため、県有施設五八カ所の維持管理を委託することも決まりました。行政評価も県 は頑張っています。私の印象では、行政改革については規模が小さいこともありますが、国よりも地方の方が進んでいるように思えます。
一八年度予算が二月議会に提出されますが、予算編成段階では約八百億円の収支不足(ありていに言って足りないということ。所沢市の年間予算とほぼ同額) が判明し、家計の貯金に当たる「基金」の取り崩しや各種事業の見直しは必至です。県の台所事情は「火の車」で、難しい時代です。 やや腰が重いか?

県議会
一方、県議会については、やや腰が重いのではないのかと感じています。人数が九十四人と多いこともありますが、まず、一般質問の機会が市議会に比べると 少ない。一年に一度できればいい方です。かといって、常任委員会で国会のように自由に発言できるかというと、議案に直接関係のない質問は難しいのが実情で す。また、特別委員会は本来特別のテーマを一定期間のうちに議会として結論を出すべきものでしょうが、実際にはそうでないものが多い。議会という点では国 会や市議会の方がより機動的だと感じています。
議会の在り方については、昨年から県議会も問題意識をもって改革に取り組み始めました。ただ、議会は最終的には多数決の場ですので、最大会派の自民党(六十二人!)がカギを握っていることは間違いありません。

発想の逆転が必要
地方分権とは一体何でしょうか。その本質は、なるべく住民に近いところで物事を決定し、実施しようということです。まず、市でできることはなるべく市 で、それでできないものは県が、それでもできないことは国がというのが基本的考え方です。今までは逆でした。まず国があって、次に県があって、最後に市町 村がありました。
この仕組みを変えるのは大変です。これまで、国はお金の配分を通して県や市をコントロールしてきました。三位一体改革を見ても、国(実際には各省庁と族 議員)は容易に財源と権限を手放そうとはしませんでした。まだ県の方が良心的だと思います(お金がないせいもありますが‥)。地方分権の改革は住民の自治 意識の高まりに支えられて、息長く進めなくてはなりません。
県も存在意義を問われる時代に入りました。所沢市のように能力の高い自治体からは、「県なんていらない」という声も聞こえてきます。でも、私の知る限 り、熱意があり、情熱もある県職員も多数います。そういう人と協力し、議論し、県は何ができるか、何をすべきかを見定めながら、今年も頑張っていきたいと 思います。

「家庭新聞」2005暑中見舞号に寄稿

 現在、埼玉県議会の一般質問において、知事の次に答弁の機会が多いのが教育長である。登壇するほとんどの議員が教育問題を取り上げるため、教育長は大忙しである。
学力低下をはじめ、不登校、いじめ、学級崩壊、青少年の犯罪など、子供たちと教育をめぐる状況は大変厳しく、県議会での教育に関する質問が多くなるのも ある意味では当然かもしれない。しかし、最近の議会における教育論議の中でどうしても気になる流れがある。それは、率直に言って、国家主義的な流れが強く なってきているということである。
◇             ◇
振り返ると、始まりは五年前の平成十二年十二月議会だった。「教科書採択制度の改善について」という請願が出され、議会としての意思を問われたのであ る。請願は婉曲な表現ながらも、埼玉県で採択されている中学校の社会・歴史教科書を批判し、採択制度の改善を求めたものであった。私は公明党を代表して討 論に立ち、危険なにおいのするこの請願を拙速に採択すべきではないと訴えたが、自民党などの賛成多数で採択となった。
次に、昨年九月議会に、「教育基本法の早期改正を求める意見書」が自民党から提案された。この意見書は「伝統・文化の尊重と国を愛する心の育成、家庭の 意義と家庭教育の重視、道徳・宗教的情操のかん養、教育行政の責任の明確化などの観点から」、国に対して教育基本法の早期改正を求めるものだった。当然賛 否両論渦巻いた。しかし、これも議会で多数を占める自民党の賛成により、可決された。意見書は全会一致というこれまでの県議会の慣例を破った異例の議決 だった。教育行政における政治的中立という立場から、この時も私は反対討論を行った。

◇              ◇
記憶に新しい昨年十二月議会では、「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長であった高橋史朗氏を県教育委員に登用する人事案が上田知事から提案され、 さらに議論は沸騰した。議会最終日の本会議は、人事に反対する多くの傍聴者が詰め掛け、怒号が飛び交う異様な雰囲気となった。公明党は反対。知事の人事案 に反対することは非常に重い意味を持つことも考慮した上での判断であった。高橋氏は委員就任を前にして、「つくる会」の副会長を辞任していたが、活発に政 治的な運動を繰り広げてきた同会の中心にいた人物である。公明党に賛成しろというのは無理だ。結果は自民、主権の会などの賛成で可決された。
また、十二月議会の前には、自民党などの保守系議員を中心にして「教科書を考える議員連盟」なるものが多数の議員の参加を得て、結成されていたことも付け加えなければならない。陰に陽に、教育行政に対して「右」からの圧力が強まっている。
「右」から言わせれば、戦後教育はあまりにも「左」寄りだったから、それを直さなければいけないということなのだろうが……。
一方、先ごろ終わった今年の六月議会では、逆の立場からの請願が三本提出された。いずれも含意は、今年行われる教科書採択を前にして、扶桑社版の歴史・公民教科書を採択すべきでないという内容である。公明党はこれにも賛成しなかった。
◇             ◇
確かに、議会において国家主義的な流れが強くなってきていることに、私たちは強い危惧を覚える。しかしながら、ある特定の教科書を採択すべきでないとい う発言は、逆に、それを採択せよという発言と、次元においては結局同じことになってしまう。教育を政争の具にしては決してならない。
私は、教育においては政治的中立が極めて重要と考えている。というよりも、それは、まさに私が政治の世界を志した最も大きな理由であり、今もライフワー クと考えている。教育は時々の政治に巻き込まれてはならない。教育は独立すべきである。立法、司法、行政の三権に教育を加えて、四権分立を目指すべきと考 える。
◇              ◇
私が教育権の独立という考えに及んだのは、戦没学生の手記である「きけ わだつみの声」を学生時代に読んだことに始まる。大学に進学したものの、さした る目標もなく、漫然とした日々を送っていた私にとって、太平洋戦争当時の同世代の若者がどのような思いで戦場に散っていったかを知った時、大きな衝撃を受 けた。その中の一節。「我が国民は今や大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果たすであ ろう。それを見得ずして死ぬのは残念だが仕方がない。(中略)万事にわれが他よりすぐれたりと考えさせたわれわれの指導者、ただそれらの指導者の存在を許 してきた日本国民の頭脳に責任があった」。こうつづった学徒は、無実を主張しながらもBC級戦犯として異国の地で処刑された。
また、特攻に散ったある学徒は、「世界が正しく、よくなるために一つの石を積み重ねるのである。なるべく大きくすわりのいい石を、先人の積んだ塔の上に 重ねたいものだ。(中略)できることならわれらの祖国が新しい世界史における主体的役割を担ってくれるといいと思う」とつづっていた。
当時の多くの知的エリートはエリートであるがゆえに、日本の敗戦と過ちを予見していた。そして、敗戦後の日本の新しい歴史に期待しつつも、彼らはそれに参加することできないことも知っていた。
多くの方がこの戦没学生の手記に衝撃を受けたことと思う。われらはいかに先人に答えていくつもりなのか。答え方はさまざまであろう。私は教育の果たすべ き役割をこの書から感じ取った。そして、平和に果たすべき教育の役割に思いいたった。それが政治の世界を志していく最大の理由となった。

確かに戦後民主教育への反省点はある。私もそう思う。人間の持つエゴイズムのコントロールに戦後民主教育は失敗したと言ってもいいかもしれない。だから と言って、社会科の教科書を変えることで本当に解決に向かうのか。愛国心という文言を教科書に盛り込めば、本当に国を、人々を愛する心が育つのか。
今、求められているのは教育に対する「謙虚さ」であると思う。「畏れ」とも言えるかもしれない。教育を小手先であれこれいじくるべきではない。まず、何 よりも、子どもの声、現場で苦闘する教員の声にしっかりと耳を傾けるべきと思う。現場を歩くことから再度始めようと思う。私はそうやって、私の使命と責任 を果たしていきたい。生涯を通して先人のこえに答えていきたいと考えている。

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