一応は仕事納め

一応は仕事納め

 今日で県庁は仕事納め。県議会公明党控室での仕事は今日が今年の最後となりました。
 朝から、西山じゅんじニュース次号の原稿書きに頑張り、夕方にはほぼ終えることができました。家に帰って、デザイナーのさかなちゃんにデータ送信してひと段落です。さかなちゃんは主婦で年末は超忙しいのに、私はいつも年末に仕事を頼んでいるように思います。さかなちゃん、旦那さん、申し訳ない!
 でも、私もこれですべて終わりではありません。また、年末の挨拶回りが残っています。それと、主夫として、家の大掃除も手伝わなければなりません。探せばやることはやまほどあるし……。
あっという間の、年末ですね。皆様、お体大切に。

公明党本部へ年末のご挨拶

 埼玉県議団一同で信濃町の公明党本部へ年末のご挨拶に行ってきました。急な訪問にもかかわらず、党本部事務局幹部の方に丁寧に応対いただき、有意義な懇談のひと時となりました。
 
 来年は、公明党結党50周年になりますが、党本部でも結党の原点を確認し、新たな公明党を目指すべくさまざまな取り組みをされていることを知りました。公明新聞記者だった私には通いなれた建物ですが、とても新鮮な感動を覚えました。一緒に行った同僚議員も口々に良かったと言っていました。公明党を支える地方議員の一人として決意を新たにすることができました。

自民の強引な議会運営に異議アリ ――日本史教科書採択で論戦

 11日に9月定例県議会が閉会しましたが、議論の焦点となったテーマが高校の日本史教科書採択でした。自民党や刷新の会の一部議員が、高校日本史で実教出版の教科書が一部の学校で選ばれたことを問題視し、県教育委員会に採択のやり直しを求める決議を提出しました。公明党は、教育の政治的中立を守る立場からこの決議に猛然と反対。民主党、共産党、社民党も反対しましたが、自民、刷新の会などの賛成多数で決議は可決してしまいました。

 
 そもそも決議とは議会の意志を示すために行うものですが、はっきりと賛否の割れるようなテーマを賛成多数で押し切ることが議会総体の意志と言えるでしょうか。否であります。ほかにも、「新たな森事業の執行停止を求める決議」が自民などの賛成多数で可決されましたが、こうした議会運営に対して、「自民党は強気の議会運営に拍車をかけている」(毎日新聞)、「自民党県議団の決め方が請求、強引」(埼玉新聞)と、マスコミからも批判の声が寄せられています。

 
 なを、日本史教科書採択の再審査を求める決議に対して、公明党から蒲生徳明議員が反対討論を展開。議会後、私のもとにも、「蒲生議員の討論が一番説得力があった」「ぜひ公明党に頑張ってもらいたい」との声も寄せられています。以下、蒲生議員の討論を掲載いたします。

 
   ◇             ◇
 公明党の蒲生徳明です。公明党県議団を代表して、議第18号「高校日本史教科書採択の再審査を求める決議」について、反対する立場から討論を行います。
 本決議案は、高校日本史教科書の採択について、県教育委員会の取り組みが不十分であるとして、再審査を求めるものであります。
 県立高校の教科書採択は、毎年度、各教科の検定済み教科書の中から、県教育委員会が採択することになっております。
 しかし、対象となる検定済み教科書は全部で17教科、約900種類という膨大な数になり、そのすべてに6人の教育委員が目を通し、なをかつ、適切な教科書を各学校に選ぶことは実質的に不可能であります。
 ですから、当然のこととして、各学校において、それぞれの実情を踏まえた適切な選択をし、県教委としてもそれを尊重するのが賢明、かつ、常識的な判断であることは、言うまでもありません。
 かといって、県教育委員会は何もしなかったわけではありません。独自に教科書の調査・研究を行い、学校訪問や校長ヒアリングなどを重ねた上で、最終的な判断をしており、手続き的にも何ら瑕疵はありません。
 それに対して、本決議案は、「各学校の希望通りの採択が行われた」こと自体を問題視し、「教科書の内容を十分把握しない今回の教科書採択には、実質的な瑕疵があったと言わざるを得ない」と、一方的に決めつけております。
 しかし、文教委員会の審議でも明らかになった通り、教育委員は問題視された実教出版の教科書について、特に提案者が問題視しているような記述が含まれていることも十分認識した上で、最終的な結論を下しており、しっかりと主体的な判断をしているのであります。
それを問題だ、採択をやり直せというのは、余りにも無茶な要求であり、理の通らない話であります。

 ところで、本決議案は今議会で突然出てきたものではありません。閉会中、2度にわたって文教委員会が開かれ、教科書採択について審査が行われた延長線上にあるものです。特に、9月13日の文教委員会には、実教出版の教科書を選んだ8校の校長が委員会に呼ばれました。
 公明党は、校長を議会に呼ぶことに対して強く反対しましたが、残念ながら聞き入れられませんでした。特定の教科書を選んだ校長を議会に呼んで答弁させたことは明らかに「やり過ぎ」であります。
議会の意向に沿わないことをすれば、議会に呼ばれるかもしれないという誤ったメッセージを教育現場に伝えてしまいました。
これは教育現場を委縮させるだけであります。さらに、議会の良識が県民から疑われるような行為であったと言わざるを得ません。
 公教育における政治的中立は近代教育の大原則であります。また、私たちは、日本を悲惨な戦争に導いた軍国主義教育の過ちを忘れてはなりません。
 議員各位がいかなる歴史認識や政治思想を持とうが自由でありますが、多数派だからといって、それを公教育の場に持ち込むことはやめていただきたい。
 押しつけや強制では子供たちの健全な歴史認識は育ちません。
 また、議会の多数派はいつ変わるかわかりません。そのたびに、政治が教育に介入していては、現場が混乱するだけであります。
 よって、仮に本決議が可決されたとしても、本県教育には少しもプラスにならないことを強く申し上げ、反対討論といたします。

竜巻被害の越谷市へ

竜巻被害の越谷市へ 3日の朝、公明党の同僚議員とともに2日午後に竜巻被害にあった越谷市の現場に急行しました。国道4号から越谷市の被災地に近づくと、高圧線に布のようなものが引っ掛かっており、いよいよだなと思うと、間もなく、大変な状況が眼前に広がっていました。
竜巻の進路と思われる地点を車で抜けていきましたが、なぎ倒された電柱やフェンスとともに、屋根が飛び、窓ガラスが壊れた家々が続いています。上空には複数のヘリが轟音を響かせ、片づける人々、警察、報道陣などで、騒然とした雰囲気です。大震災時の津波被害の風景を思い出させました。
地元の藤林県議や公明等越谷市議に案内してもらい、被害の大きかった同市大杉の現場へ。竜巻の進路にあたった路地の両側の家々ほとんどが被害を受けた一角では、電柱が倒れて向の家の屋根に食い込んでいました。住民の皆さんは片づけやブルーシートをつける作業などにに追われていました。倒れている電柱をみると、中が中空になっていて、鉄線が入っていますが、それが根本から倒されている光景を目の当たりにして、竜巻のエネルギーのすごさを実感しました
電気の復旧が心配されます。この暑い中で冷蔵庫の中身が心配ですし、冷たい飲み物もとることができない状況です。また、雲行きが怪しく、雨が降ると大変悲惨な状況になりそうでした。復旧の支援に力を尽くしてまいります。
災害が少ないといわれる埼玉県ですが、竜巻はどこにでも起きる可能性があります。また、気象現象ですから防ぐ手段もありません。あらためて、その恐ろしさを感じました。

GW(街頭演説週間)が終了!

 今年のGW、私にとっては文字通りのGW(街頭演説週間)でした。
 暦通りの休日6日間はすべて、同僚の公明市議と一緒に街頭演説をして回りました。合計で、44カ所となりました。何とかやり切れたのは、一緒に頑張ってくれた同僚市議と、どこもいかずに我慢してくれた妻のおかげです。

 夏の参議院選挙に向けてわが党公認の矢倉さんを市民の皆様に知っていただく最大のチャンスととらえ、頑張りました。天候にも恵まれたので顔も真っ黒に日焼けしてしまいました。
 
 うれしいことも多々ありました。支持者の皆さんの激励をたくさんいただいたのをはじめ、じっと聞いてくれ、うなづいてくれた方。手を振ってくれた方。また、小手指では、高校時代の同級生S君とほぼ何十年ぶりの再会ができました。S君、もし、このブログを読んだらぜひ連絡をくださいね!

動物議連で聖地・熊本市を視察

動物議連で聖地・熊本市を視察 私が幹事長を務める埼玉県議会の動物議連(動物と共生する社会を推進する議員連盟)で、連休中日の1日午後、動物愛護行政の「聖地」とも言うべき熊本市動物愛護センターを視察してきました。これには県議会の超党派の議員13名が参加しました。

熊本市動物愛護センターは、全国に先駆けて「殺処分ゼロ」を達成した施設として有名であり、全国の類似施設や関係者に大きな影響を与えました。私もかねてから一度行きたいと思っていたところです。
当日は、村上睦子所長が出迎えてくださり、施設内を見学するとともに、種々貴重なお話を伺いました。

施設そのものは、こじんまりとした規模であり、管理事務所と収容施設の2棟があり、他の類似施設とほぼ変わりません。

大きな変化は前・所長が着任した時から始まったそうです。収容された動物は一定期間の後に、半ば自動的に殺処分されていた当時のことです。毎回、処分機のスイッチを誰が押すかが、職員にとって大きなプレッシャーになっていたそうです。さらには、こうした現状に職員は家族にも自分の仕事の中身を話せないということもありました。所長さんは「これはなんとかしないといかん」と決意、職員の声を聴いたところ、「できれば処分をしたくない」という声が多く寄せられ、それはやがて「殺処分ゼロ」を目指そうという共通認識に変わっていきました。

そして、同センターの取り組みが始まります。具体的には、①飼い主への説得と安易な引き取りはしない②迷子札100%運動などで変換の推進③個体管理と譲渡の推進の3本柱です。

これらは、現在、各地で展開される取り組みの基本となっているようですが、こうした努力により、熊本市ではここ数年、処分機のスイッチは入れなくて良い状態が続いています。病気やけがでどうしようもないケースは、麻酔注射による安楽死になっています。

実際に、施設内には犬が約60頭、猫も30匹ぐらいが飼育され、新たな飼い主を待っています。飼い主が見つからなければ何とか施設内で寿命をまっとうさせてあげようという姿勢です。職員の方は大変でしょうが、頑張れば何とかなるという素晴らしいお手本と感じました。中には皮膚病を患って他の施設なら貰い手がないだろうということで処分されてしまいであろう子が、手厚い世話を受けながらけなげに生き抜いている姿が印象的でした。

ともあれ、やはり大変参考になる視察でした。今後、埼玉県の動物行政にぜひ生かしていきたいと思います。

児童養護施設「おお里」を視察

 熊谷市にある児童養護施設「おお里」を同僚議員とともに視察してきました。児童養護施設とは何らかの事情で親と一緒に暮らせなくなった児童生徒の入所施設で、県内に二十数箇所あります。このおお里は定員百十六人と一番大きい施設です。
 
 昔は、親がいない、いわゆる「孤児」といった子どもが多かったそうですが、今はほとんど親はいるが事情で施設に来ている子供たちです。そのうち、9割以上が虐待経験を持つという辛い状況だそうです。

 私は昨年の代表質問で児童養護施設退所後の進路が大切であり、そのためにもまず実態調査をすべしと訴え、昨年県は施設退所者の実態調査を初めて実施、孤独感に悩んだり、正規の仕事に就く割合が低いなど厳しい実態が見えてきました。施設退所後のアフターケアが大切です。

 職員の皆さんに話を伺い、施設内を案内していただきましたが、あらためて子供たちの厳しい家庭環境に心が痛み、職員の皆さんのご努力に感謝の思いでした。今後は、県としても施設退所後もできる限りアフターケアにも取り組み、一人でも多くの子供たちが力強く人生を乗り切っていってほしいと願うばかりです。

人口3.5万人の街に100カ所のグループホーム!

 かねてから一度行きたいと思っていた北海道伊達市に会派の同僚と視察に行ってきました。札幌から特急で1時間半ほど。室蘭のちょっと先に伊達市は位置していて、北海道にしては雪が少なく、温暖で「北海道の湘南」と呼ばれているそうです。

 この人口3万5千人ほどの伊達市は、街で暮らす知的障害者がとても多いことで知られています。なんと、障害者のグループホームが約100カ所あり、5百数十人の知的障害者が地域で生活しています。

 障害者福祉が始まったばかりの頃は、知的障害者は入所施設にいることが幸せと思われた時もありましたが、現在はできるだけ障害者も施設を出て街で普通に暮らすことを目指すようになっています。その最先端をいく街の一つが伊達市なのです。

 伊達市の障害者福祉を進めた北海道社会福祉事業団の前原さんに貴重なお話を伺いました。もともとは大規模なコロニー(入所施設)「太陽の園」としてスタートしたのですが、昭和48年に一般就労を目指した通勤寮を開設、市内の事業者さんに理解を得ながら、街で仕事をし、生活する知的障害者がだんだん増えていきます。

 平成18年には、北海道の外郭団体だった事業団が分離独立。職員の給料は3割減となったそうですが、今は道からの補助金なしで自立した経営が可能になったそうです。

 前原さんのお話で、「施設というのはアブノーマルな場」「自分から施設に入りたいという人はいない」「住むところを街につくらなければいけない」等々の言葉が印象に残っています。

 もちろん、埼玉県も障害者の地域移行を目指していますが、道はいまだ半ば。先進地の良いところを学びつつ、障害者もそうでない人も街でふつうに暮らせる地域社会を目指したいと思います。

三富の落ち葉掃き大会

三富の落ち葉掃き大会 今日は真っ青な空が広がるとてもいい天気でしたが、この青空のもと、三富地域農業振興会が主催した三富の落ち葉はき大会に参加してきました。

三富地区は柳沢吉保の時代から雑木林の落ち葉を畑の堆肥にする循環型農業が続いてきた地域ですが、近年は化学肥料の普及と人手不足で循環型農業を営む農家は少数派になりつつあります。そんな中で、私の友人でもある横山進さんは積極的に循環型農業を展開している一人で、今回はその横山さんのヤマ(雑木林)に約140人もの人が集まり、落ち葉掃きを体験しました。

私も初めての体験でしたが、熊手を落ち葉をかき集めて畝状にして、それをゴルフネットで縛り上げ、軽トラで運ぶ作業です。140人のパワーはすごいもので、午前中2時間ぐらいで、みるみるうちに2ヘクタールぐらいの雑木林の落ち葉がかき集められてしまいました。集められた落ち葉は2年くらいかけて発酵させ、畑のよき堆肥となります。横山さんによると、「ヤマ一反、畑一反」というそうで、雑木林一反分(約10アール)の落ち葉が畑一反分の肥料として必要だそうです。

今日は大勢の人数でしたが、広いヤマを家族だけで落ち葉をはき、集めて移動するとなると、これはものすごく大変で数か月もかけてやっていたそうです。

午前中で落ち葉掃きはひと段落させ、お昼は真心のけんちん汁をごちそうになりながら、弁当を食べ、早稲田大学の大堀先生の青空講義もあり、大変充実したイベントでした。

大変伝統的な農業であり、ある意味では保守的な農業なのですが、現代農業からみると逆に、これが革新的というか最先端になるという不思議な位置づけになるな、などと後で思ったりもしました。ともかく良い天気に恵まれ、貴重な体験ができた一日でした。

ゼロ戦来日中!

ゼロ戦来日中! 所沢航空発祥記念館にゼロ戦を見に行ってきました。
52型のゼロ戦で、1944年サイパン島で無傷のまま捕獲され、その後民間に払い下げされ、米国で保存展示されている機体です。エンジンをはじめ多くの部品がオリジナルなまま飛行可能な唯一のゼロ戦だそうです。

朝9時30分の開館直後に行ったのですが、土曜日ということもあって、さすがにファンらしき人が跡を絶たず、人気のほどをうかがわせていました。中年の男性が多いことも特徴でしょうか。

あらためて機体を眺めると、屋内だけにその大きさをまず感じます。第2次大戦を代表する名機とはいえ、現代の飛行機や車と比べると、なんだか鉄板を張り合わせたようなゴツゴツ感があり、電子部品もないので、いかにもハンドメイドといった感じです。思わず「こんな機体で命をかけて戦ってたんだ…」と思ってしまいました。

私の小さい頃は、それこそ「ゼロ戦ハヤト」という漫画もあり(今でも歌詞を覚えています)、そのほかにも戦争ものの漫画もたくさんあって、結構好きでした。今の子供たちにはこのゼロ戦はどのように映るのでしょうか。

ゼロ戦の展示は、3月いっぱいまでです。航空記念館の中の大型スクリーンの映画も良いですよ。ぜひ、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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